明治35年、歴史の息吹感じる露営地。
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明治35年(1902年)1月25日夕刻頃に旧陸軍青森歩兵第五聯隊が露営したとされる場所です。雪壕を掘る体力も、道具も失われ凹地に寄り添うように露営されたようです。この露営地での確認により、210名の隊員のうち生存者は50名程になってしまいました。
名前 |
中の森第三露営地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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他の露営地と同じく、現地には標識以外に露営を伺わせるものは残っていません。平沢第1露営地と鳴沢第2露営地で多数が犠牲となり、210名いた歩兵連隊のうち、この第三露営地に到着した時は71名、出発する頃に点呼したところ僅か30名ほどとなっておりますが、第2露営地から2km弱という距離でしょうか、それでも丸1日かかっており、ほぼ不眠不休絶食という、想像するだに辛い状況が伝わってきます。カーブ際にあるため、車を止める時は気を付けましょう。