福建会館で味わう、ランタンの灯火。
福建会館 天后堂旧唐人屋敷,の特徴
ランタンフェスティバル期間中は天后堂の小さい媽祖が寺町の興福寺へ運ばれます。
江戸後期から続く明治元年創設の八閩会館が福建会館の前身です。
敷地内には上海市寄贈の孫文銅像と資料展示室が併設されています。
唐人屋敷跡の一つ福建会館いい感じの道路脇の路地を進むとありますが昔と違い裏から入れません。
ランタンフェスティバルロウソク祈願四堂巡り☆(四)福建会館天后堂福建会館は明治元年、福建省出身の貿易商たちの経済団体として創設されました。天后聖母(媽祖様)がおまつりされています。(市指定有形文化財)四堂巡りの所要時間は20分程度でした。順路もわかりやすく看板があって、堂内には係の方もいらっしゃいました。四堂を巡ってロウソクをお供えすると願いが叶うそうです☆
福建会館は、明治元年(1868年)『八閩会館』として正式に発足。明治30年(1897年)に再び福建会館と改称。会館本館は原爆で倒壊、今は正門と星娶堂がある。建築様式的には和・中の併存であり、中国との交流の歴史が凝縮された建造物。
福建会館の前身は江戸後期に遡るが、明治元年(1868)『八閩(はちびん)会館』として正式に発足した。その後、明治30年(1897)に至り建物を全面的に改築し、福建会館と改称した。会館本館(会議所)の建物は原爆により倒壊したため、現存するのは正門と天后堂などである。正門は、三間三戸の薬医門(やくいもん)形式で、中国風の要素も若干含んでいるが、組物(くみもの)の形式や軒反りの様子、絵様(えよう)の細部など、主要部は和様の造りとなっている。これに対し、外壁煉瓦造の天后堂は架構法(かこうほう)なども純正な中国式を基調とし、一部木鼻(きばな)や欄間(らんま)は、和様に従っている。このように、様式的には和・中の併存であり、中国との交流の歴史が凝縮された建造物であるといえる。 長崎市HPより。
お昼過ぎに立ち寄りました。2年前に訪れたときは修復工事中でした。足場も組んであり、外からも建物の雰囲気がわかりませんでした。今回は、中の様子も見れて良かったです。明治時代の再建当時の姿まで修復できたようです。その中にはモニュメントがありました。わきには可愛い花が咲いていました。階段を上り建物の入り口付近上部には素晴らしい彫刻物などがあります。中部に入り、すぐ目に付くのが中国らしい漢字が上部に飾ってあります。日本にいながら中国を近く感じます。このような歴史的な建物は当時をしのぶことができますね。
ランタンフェスティバルの折、唐人屋敷の遺構の中で有名な四つ、土神堂、天后堂、観音堂、福建会館の四堂を巡ってきました。蝋燭祈願四堂巡りで最後に訪れた場所です。こちらの天后堂には関帝と媽祖が祭られています。自宅のある横浜の中華街にも関帝廟と媽祖廟(新しく歴史的な意味はあまりありません)があるので、関帝と媽祖は唐人の心のよりどころになっているのだろうと想像します。こちらのお堂は比較的広く、堂内がホール的に使用できます。先日、たまたま市民の方による二胡のコンサートがあったので拝聴しました。とても良いコンサートに巡り合えて感謝です。
構内に爆竹の燃えかすが。春節ですね。
長崎と中国福建省の架け橋。
上海市から寄贈された孫文の銅像があります。
名前 |
福建会館 天后堂旧唐人屋敷, |
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ジャンル |
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電話番号 |
095-829-1193 |
住所 |
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HP |
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000588.html |
評価 |
4.1 |
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