加藤清正の城跡で静かなひとときを。
鷹ノ原城跡(南関城跡)の特徴
南関御茶屋跡の雰囲気が良く、ふらっと訪れやすい場所です。
加藤清正が築いた城跡で、歴史を感じられる静かな環境です。
発掘された本丸や石垣が見られ、見事な遺構が魅力です。
まずは南関御茶屋跡からスタートしました。官軍墓地を通り抜け、遺構探しが始まりました。道の右側に石垣などの曲輪?遺構を発見しました。石垣などを見るために、草むらだらけの所をおりました。降りて良かったです。ご褒美に石垣を見ることが出来ました。
とても雰囲気が良く、ふらっと一人で行っても楽しめる場所です。2022/10/20 (木)に訪問いたしました。この南関城跡(鷹ノ原城跡)は説明に、「まずは南関御茶屋跡からスタートしました。官軍墓地を通り抜け、遺構探しが始まりました。道の右側に石垣などの曲輪?遺構を発見しました。」とある通り、楽しむには人を選ばないのではないかと思います。奥まで行くと立ち入り禁止の場所もあるのですが、雰囲気を楽しむのには十分かと思いますので行ってみてはいかがでしょうか。私は一人で立ち寄ってみたのですが、友達どうしでも、カップルでも、家族連れでも楽しめるのではないかと思います。
石垣の跡が残っています。御茶屋跡の駐車場から遊歩道があります。駐車場から約10分くらいで本丸跡まで登れます。
詳しくは、他の方々がコメントしてらっしゃいますから、道順を詳しくです。南関インターを出たら信号を直進したら、橋がありますから渡って直ぐに四つ角がありソコを左折して、暫く行くと画像の道に行きあたりますから、左方向に行くと南関城です。ただ道幅が狭っ苦しく、フィットやマーチ以上の車では脱輪の可能性があり、小型車で行かれるのをお勧めします。
加藤清正の境目の城。
南関城(鷹ノ原城)は、南関町役場の北方にある標高104m、比高40m程の丘陵に築かれていました。 地形を見ると東西400m程に渡ってほぼ同じ高さの地形が続いています。慶長5年(1600年)加藤正次によって築かれたといわれ、 加藤正次は加藤清正の家臣で大津山城代でしたが、慶長5年(1600年)鷹ノ原城を築いて居城としました。鷹ノ原城の築城にあたっては加藤清正が縄張りしたと伝えられます。 元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となりました。本丸はこの丘陵の東端部で、現在は西南戦争の「城ノ原官軍墓地」(県指定史跡)となり、西側は畑地です。
静かな場所。歴史を感じました。 ただし、道は険しく表示も落ちてたり💦 保存にもっと予算を使って欲しいな!
加藤清正が領国の北の守りを固めるために作った城跡。一国一城令で破却させられたが、石垣の遺構が出土した。本丸跡に西南戦争の官軍墓地も作られている。麓には南関のお茶屋もあり、資料を見学したりお茶を頂いたりできる。
加藤家時代(17Cはじめ)の城址で、一国一城令で破却されたものだが、近年の発掘で、本丸の一部があらわれたもの、築城名手の加藤氏の手になるもので、一部とはいえ見事な石垣や堀、構えなどの遺構が間近で観察できる。またあちこちに石積などの遺構が散見され、史跡好きには価値の高い城である。本丸南側には西南戦争時の官軍墓地があり、その南側、お茶屋あと側の斜面は熊本地震で破損していたが、修理も終わり眺めの良い、自然豊かな公園となっている。
名前 |
鷹ノ原城跡(南関城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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2023年10月末に訪問しましたが素晴らしい状態です。地元の方、整備してくださってありがとうございます。