上杉景虎自刃の地、歴史を体感。
鮫ヶ尾城跡の特徴
続日本100名城の一つ、山城の鮫ヶ尾城跡です。
上杉景虎が自刃した城趾で歴史的意義があります。
三つの登城ルートからアプローチ可能な観光地です。
真夏の正午前というかなり暑い時期に行きました。汗だくで大変でしたが、頂上からの眺めは素晴らしく、また堀切などの遺構がはっきりと残っており良かったです。基本的に低山登山です。登城路によるかもしれませんが、途中少し草が生い茂った場所もありますので、肌が露出する短パンはお勧めしません。案内所でスキーのストックを杖として貸してくれました。これがあるとやはり多少楽になるので、必要な方は借りると良いと思います。
3つの登城ルートがあります。管理棟から近いのは北ルートなのですが、南ルートと東ルートの方が分かりやすい遺構が残っていて良いと思いました。東ルートでは狐にも出会えました🦊夏場は常に虫が付き纏ってくるので覚悟が必要。
上杉景虎終焉の城趾。駐車場から往復で約1時間ちょっとくらい。案内所で御城印や景虎タオルが買えます。スキーのストック借りると少し楽。
森林浴の森百選。日本100名城のスタンプが、総合案内所に設置されています。上杉景虎終焉の地。階段を降りると池があり本丸跡まで30分程、ルートが他にもあるみたいなので、案内所に寄ってから散策するのをオススメします。登山客の方もチラホラ見かけました。私は行きませんでしたが、見晴らしは良好、絶景だそうです。案内所周辺も東家、BQコーナーあり、芝生も広く気持ち良い場所なのでここで十分でした。2024.3
上杉景虎が景春に敗れ自刃した城。南側登路から登った。堀切やつづら折りの登路の脇には切れることなくカタクリの花が咲いており、三の丸、二の丸、本丸の回りもカタクリだらけ、これだけのカタクリの大群落に出会ったのは初めてである。(2024.4.4)ぜひこの季節に訪れてみるべき。きっと城好きも城どころではなくなるはず。(笑)
続日本100名城のスタンプは、斐太歴史の里総合案内所に設置されています。軽い登山です、滑りやすい所も多々あるのでスニーカーでは危ういです、トレッキングシューズをお勧めします。森の中を進むので夏場は蚊や虫がめちゃくちゃ多かったです。約20分とありましたが、アラ還にはキツく休み休み登り40分ほどで辿り着きました。途中1か所だけ常設のロープを使う急坂もありましたが、まあ普通に健常な方は大丈夫でしょう。本丸の標高は185m、見晴らしは良好!絶景です!行きは東登城路、帰りは南登城路を下るのがお薦めだそうです。アップダウンは殆どありません、登って下るだけです、あと飲料水等も忘れずに!ご安全に!
続100名城の一つ。標高185mの山頂本丸跡(N185曲輪)からは遠く日本海まで見渡せる。北登城道入口から本丸までは全線登山道の上り坂で、夏場は草木が生い茂るため虫刺されに注意。上杉謙信の後取りを巡って、景勝と景虎が争った御館の乱の決戦の地として有名。この戦いで城は焼け落ち、景虎はここで自害した。その後この土地はほとんど利用されていないことから、当時のままの形を残す山城として珍しい。新井SICから18号線を北上し、乙吉交差点から県道63→85と進み、鮫ヶ尾城跡の看板の示す方向に左折した先右手に無料駐車場あり。山頂までは20分ほどで辿り着く。
永禄年間(1558年から1570年)に築城された山城であります。天正7年(1579)年3月24日、上杉景勝に敗れた上杉三郎景虎が追い詰められて亡くなった場所です。二の丸跡から炭化したおにぎりや陶磁器片、銭貨等が出土しました。落城後は火事場整理を経て使われた形跡がないことから、天正7年(1579)4月以降廃城となったものと考えられます。東登城道入口付近には弥生時代の竪穴式住居跡、東一の丸跡には同時代の墳丘が発見されています。
上杉景虎最期の地。上杉謙信亡き後、跡目を争ったのが養子の二人、景勝と景虎だった。その景虎が自刃したのがこの地と言われている。御館の乱。城は堀切があるところまでは緩やかで、その先は急な形でロープを使って登る箇所もある。見晴らしはよいですね。北新井の駅から徒歩1時間程度あれば本丸にはいけます。途中管理棟で地図とスタンプを忘れずに。地図は等高線や縮尺は結構正確なので頼れます。帰りは北ルートを通ればほぼ一本道の下り坂で楽です。管理棟と本丸の往復で一時間見ておけばいいかなと思います。
名前 |
鮫ヶ尾城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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〈続〉日本百名城の一つ。さすが山城、周回で1時間かかるそうです。また、16時以降は登城は止めるとの事で、今回はスタンプのみで登城はパスしました。暑くない時に再訪します。