奥の細道と沖の石、歴史の舞台へ。
沖の石の特徴
奥の細道を辿る旅で、芭蕉も訪れた名所である。
名所旧跡マニアにはたまらない、歴史的意義を持つ場所。
末の松山と対をなす重要な史跡として知名度がある。
歩いて至近の距離にある「末の松山」と同じく古典の教養のない小職には難しい名所ですなー😅
現在は住宅に囲まれていますが、昔はどうだったのかなぁ。末の松山から徒歩ですぐです。
わかる人には最高の史跡。歌枕。末の松山とセットで古を感じましょう。
末の松山の南に位置し、直径20メートルほどの池の中に岩が露出しています。興井は、『千載和歌集』にある二条院讃岐の歌や『古今和歌集』にある小野小町の歌などで有名になった歌枕です。江戸時代には、仙台藩4代藩主伊達綱村の時に歌名所として再整備されました。(国名勝、日本遺産)末の松山から南へ伸びる道を下ると奇石が連なる池が見えてきます。住宅地の中に取り残されたこの池が、歌枕の興井(沖の石)。『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』にある二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌は有名で、作者は後に「沖の石の讃岐」と呼ばれたそうです。
名所旧跡マニアにとってはたまらない場所ですね。住宅街なので、駐車場の心配はあると思いますが、近くに沖の石、末の松山用の無料駐車場がありますので、安心して訪れてください。ここは波こさじとは言いながら、ここの近くまで津波があったと思うと色々な意味で感慨深いです。歩道橋に津波の高さを示す表示があります。
歴史好きにはいいかも。
住宅地の真ん中にぽっんと。タイムスリップしたような気になります。
奥の細道 第19の段 「末の松山・塩竃の浦」枕歌の地、枕歌は二条院讃岐「わが袖は 汐干(しおひ)に見えぬ 沖の石 人こそ知らぬ 乾く間もなく」山本周五郎「樅の木は残った」の当事者、仙台藩4代伊達綱村が手厚く保護したとされる。「興の井(おきのい)」とも言う。芭蕉が訪れた元禄2年はまさに綱村の代でした。綱村は仏門に帰依し、寺院、神社の建立、整備に尽力しましたが、一方、藩の財政を苦しくする結果を招き、綱村の失脚、隠居を以て「伊達騒動」の終焉とする説もあります。
住宅地の中にあるうえ、工事がまだ終わってなくて景観があまり良くないので星3つ。
名前 |
沖の石 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-368-1141 |
住所 |
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HP |
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/kurashi/shisetsu/shisetsu/bunkazai/065.html |
評価 |
3.6 |
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今となってはただの池です。