八百屋お七の墓参り。
南縁山 正徳院 圓乗寺の特徴
八百屋お七の墓がある、都心の静かな場所です。
江戸三十三観音霊場11番札所で御朱印がいただけます。
地元の歴史を感じる小さな本堂のお寺です。
1階に聖観音菩薩、エレベーターで上がった4階に釈迦牟尼如来が安置されていますお参りに訪れた時は、是非とも4階まで足を運んでほしいです。
文京区白山1丁目にあるお寺で有名な八百屋於七物語の舞台。境内にはお七の墓所、お七地蔵堂が残っています。昔から縁結び・火伏として今でも多くの人々の信仰を集めています。本堂は建て替えられ綺麗になりました。於七のお墓や地蔵堂は入ってすぐ墓地の手前にあります。
八百屋お七の墓はどこ?(文京区・白山 円乗寺)八百屋お七は本郷の八百屋の娘で火事により焼け出されて寺に避難している間に寺小姓と恋に落ちた。店が再建され寺小姓と別れ別れになったが会いたい一心で放火をしたがすぐに消し止められ放火の罪で逮捕された。17歳の娘は火あぶりの刑で刑場の露と消えた。八百屋お七の墓は諸説があり、本駒込の吉祥寺説、本郷の正泉院説、白山の円乗寺説がある。八百屋お七地蔵不動尊だ。(写真)お墓ではない。こちらの円乗寺がお墓のあるところだ。(写真)ずいぶんと奥にある。それに小さい寺だ。(5年程前に訪れた時の写真で、現在ではビルになっているようだ)左にあるのがお七のお墓か。小さいうえに角が無いようだ。どうも削られて小さくなっているようだ。(写真)近松門左衛門の好色五人女など小説、芝居の題材になっているが、江戸初期の話なのであまり資料がないので、お七の墓も何か所もある。この円乗寺が寺小姓とお七の出会いの場かどうかもわからないし、お墓も本当にお七の墓かわからない。八百屋お七の物語は謎が多いのである。
2019.8月に参拝しました。お寺さん自体は立派なビルです。ビルの向かい側に八百屋お七の墓所があります。台風で倒れたのか、ビル建設時に移動してそのままなのか、なんかいろんな碑や立て札がうっちゃってあって、新しいビルの玄関先にしては雑多です。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の★3にさせていただいています。ビルのお寺さんです。お寺があるのがわかりにくくて通り過ぎてしまいそうです。ビルのお寺さんって入り難くて入らないで引返す事が多いのですが、八百屋お七の比翼塚がある駒込の吉祥寺さんで近くにお七のお墓があるお寺さんがあるから行ってみたらどうか?と教えていただき地図までいただいたのでうかがいました。お七のお墓はキレイなビルのお寺の敷地内に不釣り合いな感じにお七のお墓だけぽつんとありました。まあ、お七は罪人だからあまり大切に祀られても変な話かなぁ〜?とか思いましたけど。お線香をあげさせていただいて御朱印をいただきました。こちらに向かう途中に偶然通りかかったのですが、近くに大圓寺さんというお寺がありますが、そちらを入った所にほうろく地蔵尊というお七を供養する為に建てられたというお地蔵様がありました。お七絡みで行かれた方はそちらも行かれてみてはいかがでしょう?
以前の参拝の時は工事中でしたか綺麗な建物になっていました。
江戸三十三観音霊場巡りで伺いました。近代的なビルでビックリしました。
江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。天台宗のお寺で南縁山正徳院圓乗寺といい、霊場第十一番札所になります。霊場の御本尊は聖観世音菩薩様です、圓乗寺の観音様は戦災によって焼失してしまった為、後に四国より新たに聖観世音菩薩をお迎えしました。江戸時代に女性として初めて火刑された八百屋於七のお墓があるお寺です、八百屋於七地蔵尊もあり昔から「縁結び」・「火防」のお寺として現在も信仰を集めているお寺です。その昔、旧白山通り一帯は圓乗寺の敷地で野球が出来る程広大であったといわれています。
江戸三十三観音霊場11番札所です。八百屋お七墓所とも書かれていました。12/30/2018参拝あいにく工事中でしたが、仮の社務所が入口のすぐわきにありました。御朱印もいただけました。今度はビルになるそうです。工事が終わったらぜひまた参拝に行きたいです。ご丁寧に説明もしてくださり感謝です。ありがとうございます。
名前 |
南縁山 正徳院 圓乗寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5805-0333 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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有名な八百屋のお七のお墓があります都会の片隅にひっそりと建っています。