歴史の夢跡、纒向遺跡探訪。
纒向遺跡の特徴
纒向遺跡は初期ヤマト政権発祥の地として知られています。
国産の土器が出土する不思議な原っぱの遺跡です。
様々な意義を持つ築土の一部が見られる貴重な場所です。
倭内乱を収めた後に、この地を中心に祭祀によって国家を統べていった倭迹々日百襲姫こと日巫女の夢の跡。まぶたを閉じれば、古代ロマンが走馬燈の様に頭にめぐってきます。「平成21年 纒向遺跡から当時の大型建物群の柱跡が発見されて、すぐ近くの土坑から2000個余りの桃の種が出土した。卑弥呼の宮室説がある場所から、古代中国で呪術に用いられてきたモモの種が出土。」中国ではモモは仙果として、邪悪を避ける力があると信じられてきた。モモの木で作った人形(桃人)を門に立てたり、モモの枝を門に挿したり、モモ板に呪文を書いたりした。モモは不老長寿を願って、儀式参加者に食べさせたのではないか(橿原考古学研究所長 菅谷文則)出土したモモの種は、呪術に長けた巫女の存在を感じるさせ、卑弥呼はヤマトモモソ媛に比定されているのを裏付ける発見であったのは記憶に新しい。
JR巻向駅のホーム北側(天理駅方面)の線路を挟んだ向かい側が纒向遺跡ですが、ホームから線路には降りずに、ホームの南側(桜井駅方面)に改札があるので、改札を出て、踏切を渡って進み、1つ目の角を右に入って、次の角を右に曲がり少し坂を上がり切った右手が纒向遺跡です。付近に駐車場は無いです。付近の団地の南側のコンビニに停めさせてもらって徒歩3分程度が無難かも、、、
有名すぎる名前が先行して勝手に良いイメージしてしまい、駅の小ささに驚きましたし、遺跡まわりは地元の方が軽自動車でギリギリすれ違うような道路です。よそ者が「纏向遺跡」にロマンを抱いて訪れても、地元からあまり見向きもされてないような感じがしました。遺跡や古墳が多過ぎるとそうなるのでしょうか。
ただの原っぱですが、日本最古の首都だったのかなぁ と思いを馳せる場所です。特に何かあるわけではないです。巻向駅の駐車場に車を停めました。近くに柿本人麻呂の家跡があります。
桜井市立埋蔵文化センターにより、最新の知識を得てからまわると良いと思います。狭い道路なので十分きおつけて!地域の方が大切にされている財産です。感謝して見学していただきたいです。
資料館はありませんが、6台程度の無料駐車場があります。水田の片隅にありますが、訪れたときはきれいに草刈がしてありました。夏場はマムシに注意です。道幅が恐ろしく狭いので要注意です。普通車セダンで訪れましたが、十字路で切り返しをしたところもあったぐらいです。住民の方はみんな軽です大きなワンボックスでは決して通りたくない道幅です。
当時最大級の建物群跡が発見されている。日本各地の土器が大量に出土。ヤマト王権の王を中心に巨大な都市群があった模様。その王の墓が箸墓古墳という説も。
纏向遺跡も順次発掘調査が進んでいく事だろうが、桃の種や紅花の花粉が見つかった、方位に沿った大型建物跡が見つかった。だけでは卑弥呼の館とは決められないと思う。大規模な環濠集落などその他の発見を待ちたい。ミステリアスで夢のある遺跡だ。そもそも、伊都国等から離れすぎている。魏志倭人伝の記事は日本全体を把握して書かれた訳ではない。纏向に強大な国があったのは確か。だから卑弥呼は九州の何処かだろう。😛
纏向遺跡居館跡軸線や方位をそろえて建てられた国内最古の建物群ヤマト王権の王宮⁇
名前 |
纒向遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-42-9111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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この遺跡からは武器や農具などが見つかっていません。戦いも農業もせずに何やっていたのか。纏向遺跡は政(まつりごと)を行うために作られた施設だったと考えられています。今は草が生い茂り当時の雰囲気を感じ取ることはできませんでした。