スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
天満宮(宮野浦) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
5.0 |
今もなお夜殿(よど)が行われる神社です。夜殿とは本祭の前夜に行われる御祭りで、神事や御神楽の奉納があります。この神社では、本祭の早朝に船の上での御神楽の奉納もあり、珍しく見ごたえがありました^^祭神 菅原道真(すがわらのみちざねのみたま)御朱印 無し由緒 古くは天神宮または天神社という。『諸神社記録』によれば「天神の建始は万治2年(1659)亥3月廿五日で、その後貞享4年(1687一)丁卯6月廿三日建立、願主小畑孫左エ門、髙橋善三良、浦中氏子とす。工人小浦渡辺吉之亟。しかるところ、宝永4年(1707)丁亥初冬四日未の刻、天下一同大地震津波打ち当て、当社大破したるをもって宝永五5年5月に前の地を改め、後ろの山の上即ち今の地に奉遷す」とある。なおこれを裏づける棟札にも「奉建立南無天満大自在天神、願主小畑孫市、髙橋作衛門、氏子中、大工矢崎茂左エ門、宝永五戊子暦五月五日、神主木立村塩月美濃守宗清」とある。寛政8年(1796)6月25日拝殿建立(庄屋小畑孫左エ門、地目付髙橋吉兵衛、山田賀平治、吉福網六左衛門、蛭網長吉郎、山守善四郎、利平)。このことを7年後の享和3年(1803)12月14日「御殿壱間、八尺、廊下八尺、九尺、拝殿弐間半、参間半、但し御殿草葺屋根」と記録している。文化13年(1816)8月28日御殿造営。次いで翌14年9月石段を築造、サヤ廊下造営。明治10年(1877)本殿を改修したが、彩色された彫刻類は江戸期のものと思われる。昭和57年(1982)拝殿再建。縦三間、横四間、入母屋造り、銅板葺き、現在使用の獏鼻は明治期のものだが、江戸期のものと思われる象鼻も残っている。境内には鳥居はもちろん、石灯籠、狛犬、玉垣、手水鉢など多くの石造物がある。(米水津村誌より)