豊後風土記の神社、歴史体験を!
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豊後風土記に登場する神社です看板の由緒書きに詳しい事が書いてます看板に従って進み 途中の右折路に進まず真っ直ぐ行くと右手に見えます。
名前 |
禰疑野神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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ヤマトタケルの父である景行天皇が熊襲征伐のために九州に上陸し、佐賀関付近までやってきた。これを迎えた速津媛は天皇に服しない部族(いわゆる土蜘蛛)がいることを進言する。土蜘蛛らは大野川の上流を拠点にしていたようだが景行天皇は川沿いに登っての進軍はせずまず北部の久住の麓辺り(現在の宮処野神社の地)に拠点を作っている。そこから斧などで木々を伐り進み、「青・白」を討伐している。川の下流からの敵を警戒していたであろう土蜘蛛に真っ向から戦うのは不利と見て、山越えをしての横撃・奇襲を選択したのかもしれない。そして次に戦ったのが土蜘蛛「打猿・八田・国摩侶」で、その本拠地がここ禰疑野である。この三人の土蜘蛛も難敵だったようで一度は敗走している。城原で軍を立て直すことでなんとか禰疑野で八田を討伐。残った打猿・国摩侶は勝てないと悟り降伏するも許されず谷に追い落とされ死んだ。景行天皇が兵たちをねぎらったことから禰疑野という地名となったとされる。この神社自体がいつ建てられたものかは不明だが打猿たちを鎮めるための建造物は当時からあったのかもしれない。