森の中、中宮への険しい道!
彦嶽宮 中宮の特徴
中宮へは険しい山道を登り、特別な体験ができます。
近くには彦獄宮下宮があり、歴史を感じられる空間です。
中宮祭神には月夜見神や彦火火出見神が祀られています。
彦獄宮下宮から登った先にある2つめの神社です。こちらなんですが、下宮と違ってお参りするにはそれなりの準備、格好で行かないと怪我したりする恐れがあります。少なくとも、山歩きシューズ、登山で木や石を掴んだりするので、滑り止めのついた手袋、それと冬でも息があがるので、水筒も必要かと思います。それと、足腰の弱いお年寄りや子供さんは行かない方がよいかと思います。道中は険しく、心臓もバクバク。足場も不安定なうえ、大量の落ち葉で滑りやすく、雨が降ったりすると更に危険ですし、時期によっては毒蛇などもいるので注意が必要です。さて、そのような険しい道ですが、先には小さな建物が見えます。そこが中宮です。土日でもあまり行く人がいないかと思いますが、到着すると達成感が湧きます。お参りに来ただけなのですが、よい経験でした。
中宮まで、険しかった😂前日、雨が降っていて、地面が滑り落ち葉も多くて、登るのに苦戦しました💦途中から段差の丸太が無くなり、木の根や石を足場に登っていきました!運動靴では来たもののがっつり登山だったので、軽装の自分に後悔…5分も登ると汗も出て、息がしんどくなり休憩。約20分で中宮に辿り着きました😊頑張った~😭中宮は、山の中にある静かな宮でした。参拝させていただきありがとうございました!足ガクガクなりながら上宮を目指しました!笑。
2020年夏の豪雨の影響でしょう。落石や、荒れ果てた道を登って行くこと15分、やっと中宮にたどり着きました。冒険気分が味わえました。
熊襲征伐に九州を訪れた景行天皇はこの彦嶽に行宮(カリミヤorアングウ)を作ったが、それに抵抗する玉名の土蜘蛛津頬(ツヅラ 日向熊津彦の部下)が東の高天山に集まり襲撃をかけた。景行天皇が彦嶽にて諸神を奉ると彦嶽山頂より高天山に靈感があり山が大きく震動した(これにより名を震岳と改めた)とされる。敗走した津頬は討たれた。玉名大神宮にもその記録が残っている。景行天皇は彦嶽に上宮・中宮・下宮の三宮を造営したとされる。その後荒廃したようだが菊池則隆により再興、再度荒廃し菊池時隆により再興、隈部氏により下津宮再興の記録が残る。元亀年間までは信仰も篤かったが、龍造寺隆信が赤星氏を攻めた際に焼失し戦乱の影響により再興することなく江戸時代を迎えた。元禄9年(1696年)に再興し現在に至るようだ。祭神は上宮は熊野宮 合殿は住吉神・春日 中宮は月読尊・彦火々出見尊 下宮は伊勢・スサノオ 合殿は阿蘇明神 を祭っており農業神の性格が強い。また筑後風土記に出る荒弦山(アラツルヤマ)はこの彦嶽を指すとされ、三池にも名が知られていた山であったようだ。
山道の中腹にあります。
中宮祭神月夜見神(つきよみの神)彦火火出見神(ひこほほでみの神)
名前 |
彦嶽宮 中宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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森の中に建つ中宮行くには中々の剣道です山をほぼ真っ直ぐ登ります 足元は落ち葉が積もって滑ります下りは特に注意です登山靴が有る方は履いて行ったが良いです。