八角形の神秘、全国の神々へ。
斎場所大元宮の特徴
八角形と六角形を用いた独特の社殿が魅力的です。
室町時代から続く重要文化財の神社で歴史を感じます。
八百万の神々を祀るパワースポットとして知られています。
節分にしか参拝できませんがここをお詣りすれば日本全国の神社をお詣りした事になりますよ!ぜひ節分にお詣りしましょう!
八角形や六角形が用いられた建物の形からしても面白く、屋根も茅葺き八角形、千木も外削ぎ(男神)と内削ぎ(女神)が1本づつなどと不思議な、唯一無二な神社です。全国の八百萬の神々が祀られているそうなので、御利益は絶大と言えるかも?吉田神道の教義を体現したお社、と言えるのでは?
吉田神社からさらに上に登っていくと、こちらに来れます。さらにいくと公園があるので、山としてぐるっと散歩出来ます。
社殿は 平面上(屋根)八角形と 六角形の後房を付した 珍しい形です。
御祭神 天神地祇八百萬神式内社三千三十二座境内 東神明社 西神明社本殿の扁額には、日本国中三千餘座天神地祇八百万神、本殿のうえには、日本㝡(最)上日高日宮の文字があります。
今は吉田神社の末社だが明治維新までは日本神道の中心だった場所。室町中期の吉田神社の神官吉田兼俱は当時伊勢神宮が騒乱で炎上した報を受け鴨川の上流に塩俵を沈め伊勢の神器は吉田山に降臨したと主張し斎場に伊勢両宮を建立、延喜式内社3132座も勧請し、さらに宇宙軸を現すという他に例を見ない特殊な八角神殿大元宮を建立し唯一宗源神道を打ち立てた。吉田家は代々神祇大副の家柄だが神祇伯白川家をさし置いて神祇管領長上を僭称し、朝廷の許しを得て斎場に宮中八神殿を移し正式に神祇官代として神職免状の発給や賄賂に応じて陳情した神社に宗源宣旨正一位を授けるなど神道家元として神社界を牛耳った。斎場には正月三ヶ日、毎月朔日と節分しか開門しないので注意。
22年7月25日に訪れました。「吉田神社」の末社で、「吉田神社」境内南側、小高い場所にあります。通常非公開で、毎月1日、正月3日間、節分3日間は拝観できます。宇宙のはじまりの神である虚無大元尊神(そらなきおおもとみことかみ)を中心に天神地祇八百万大神と全国の神々を祀っています。そのため境内最強のパワースポットといわれています。社殿は八角形の堂に六角形の後房がついていて、八角の茅葺き屋根など特殊な形をしています。吉田神道の教義を具現化しているそうです。今回は門から中は立ち入り禁止となっていました。
八百万の神様がお祀りされてます。室町時代から江戸時代にかけては、あのお伊勢さんを上回る権威のある神社さんだったそうで歴史の移り変わりを感じます。
吉田神社の奥、山蔭神社を進んだところに鎮座する大元宮は、室町末期、吉田兼倶は、吉田神道を創始し、宇宙の根元である「虚無大元尊神」を室町の自邸に祀り、伊勢神宮を含むすべての神社を吉田神社の統制下に置こうと考えた。1484年には日野富子らの寄付があり、現在地に遷座し、1590年には後陽成天皇の命で天皇の守護神を祀る八神殿が、大元宮の後方に遷座し、伊勢神宮を上回ることとなり、さらに江戸幕府から全国の神職任免権と与えられ、絶大な権力を手にした。しかし、明治になって天皇家の祖先である天照大神を最高神とする国家神道が勢いを増すなか、吉田神道は陰りを見せ、大元宮は吉田神社の末社扱いとなった。21/05/07、参拝。長い歴史の中でいろんなことを見てきたんだなぁと思いながら、六角の後房と茅葺きの八角屋根を眺めた。八百万の神様を祀っているので、さまざまなご神徳がいただける。
名前 |
斎場所大元宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-771-3788 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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2024/6/1 2回目前回は外からしか見れなかったので、またやってきました。本殿を間近で見ることができ、また、境内を歩く事が出来、天気も良く凄く良かったです✨この日は働いている方に、●[吉田神道の考え]や、●[本殿屋根の千木(ちぎ)の形で、中に祀られている神様の性別が分かる●吉田神社の千木は男女両方の形が有り、[陰と陽]を表す。(中国的思想)●[宗(そう)源(げん)の漢字意味]等、色々と話を聞くことができました。また、一緒に話を聞いていた人に、聞き逃した事や、他の行って良かった神社の話など、する事が出来、またそちらの神社も行ってみたいと思いました😌1回目中に入れる日にちは決まってました。毎月 1日と 初詣のとき?には入れる感じでした。形がすごく変わっていて、祀られている神様の数も多く、凄くご利益が有りそうな感じでした😌