解体された歴史を知る、あかし城。
赤司城跡の特徴
あかし城の石碑は歴史的な価値があるため、多くの観光客が訪れます。
久留米城への転用があったため、石組が無いことに驚く声が多いです。
城跡としての特徴が少ないものの、その歴史に興味を持つ人々を惹きつけます。
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ただ石碑があるだけ。
城跡として目立った石組が無いのは、解体され久留米城などに転用されたためと知り、納得しました。
名前 |
赤司城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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あかし城。鎌倉期に赤司氏より築城されたとのこと。戦国期には大友、赤司、筑紫、秋月氏により争奪が繰り返され特に大友氏の戸次道雪を城主として統治。1601年田中吉政が清政を城主とした。1621年有馬氏が久留米藩主となると赤司城石垣を久留米城に転用。(現地説明板ほぼそのまんま)城跡は北側の八幡宮をはさんで南側の本丸、二の丸、倉庫、太鼓櫓となり今も東、南側に池田川あるが北西側の堀はないようです。今は本丸付近は東本願寺祖霊廟建築物。城説明板は八幡宮入口、城石柱は土塁の二の丸西側道沿いにあり駐車場、トイレもあります。