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名前 |
顕揚坊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
英彦山修験道の歴史的建造物です。江戸時代初期 池泉観賞式の庭園があります。築山の下に池を穿つ。池中の岩島は見事である。右方水辺に直立する巨岩、中央部の三尊、滝石組、水分石(みずわけいし)など植栽に埋もれているのが惜しい。蓬莱石のすぐ背後の杉の大木が、平成三年の台風で主石もろとも倒れたが、その傷跡はまだ癒えていない。見学は自由に出来るが、帰る際は鹿など害獣の侵入を防ぐ柵を閉め忘れないようにしましょう。※添田町の歴史資料から下記に転載します。・敷地にはもとは秀学坊があったが、明治元年(1868)に秀学坊が焼失した後に南奥に隣接していた顕楊坊が移ってきた。現在の建物はそのとき座主院女御の家を移築したと伝わる。・茅葺寄棟を矩折れにまわし周囲に桟瓦葺の下屋をめぐらしており、千木形の棟押さえが印象的な屋根である。表参道から粗い石段を上るとこけら葺の木戸門があり、ここから切石敷きの道を直進すると左手に式台付の玄関がある。式台構えには小口縁二段の上り口を持ち、入口の無目指物に中備えの大斗肘木がある。土庇上の小天井の桁は繰形のある一木の持送りで支える。・建築年代は不明であるが天保~弘化頃(1830〜1848)と思われる。