徳川家康の歴史を感じる橋。
思案橋の特徴
徳川家康に興味がある歴史好きには打ってつけの場所です。
元々は築地であり、四日市湊への入口だった歴史を感じます。
かつては漁舟が行き交っていた土橋の壮大なロマンを体験できます。
何の変哲もない所にある。周辺は、住宅と、工場、などの何もない場所です。気を付けないと、見過ごしてしまいそうです。駐車場は、ありません。看板、掲示板などもなく、ひっそりしています。幹線道路に面していますが、車は少しの時間であれば、路側に止められそうです。駅からも遠くて、車の利用でないと不便かもしれません。偶然に通りかかった場所です。
昔は築地と呼ばれ新丁不動松原にある四日市湊への入口をなし東の洲浜へ長さ14間(約25m)の土橋が架かって下を漁舟が往来していた。とのこと。以下、石碑文から。天正10年6月本能寺の変ののち、徳川家康は伊賀路を経て、当地に至り、黄昏の土橋に立ち、行先不穏な陸路をいくか海路を選ぶか深く憂い思案にくれた。その時、地元の者、船を仕立て、夕方陸を離れたが、怪しい海鳥の羽音があり、後より迫る追手の声の如く聞こえ、不安な夜の渡海であったが、無事、尾張知多郡常滑に渡って、浜松に帰城したいう伝えもあるとのこと。橋は明治に石橋になったが、戦火で破損し、古柳の大樹も焼失し、昭和28年運河、水門の埋め立てと柳通りの拡幅工事の際、廃止された。昭和61年、企業、有志の方々の尽力により柳とともに蘇らせたとあります。一つの橋にも、歴史を大いに感じさせられます。
今や川の無い橋のようです。
名前 |
思案橋 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

歴史好き、徳川家康好きな方にはおすすめの場所です。地味だし映えないけれど、歴史に思いを馳せると感慨深い橋です。