夕陽と共に心洗う観月橋。
観月橋の特徴
清掃スタッフが常に橋を整えており、いつも綺麗な状態です。
夕陽が特に素晴らしく、絶景が広がるスポットです。
幕末の歴史を持つ、有名な豊後橋が基になっています。
近くの土手から、陸橋前まで近寄れるので、臨場感のある写真撮れます〜♪
花火🎆がやってました!明治6年に観月橋と名前がつけられましたここを渡ると観月橋駅へ行けます。
古くは豊後橋と呼ばれた。右岸側の地名の由来である。豊臣秀吉が伏見城造営時に大友豊後守宗麟に命じ架け替えさせたことから、こう呼ばれた。京、伏見、奈良を結ぶ大和街道の橋で戦略的に重要な橋であった。また当時は豊後橋の左岸側には徳川家康の屋敷があったが、この屋敷は向島城と呼んでもよい規模と構造で、水堀、本丸、二の丸、三の丸、馬場曲輪を備え、伏見城の出城としてみることもできるが、付け城とみることもできる。秀吉と家康の緊張関係を看てとれる。現在残っている「向島本丸」という地名はこの家康の向島城の本丸であった場所という意味であろう。明治に入り、木橋から鉄橋に架け替えられ、観月橋と呼ばれるようなった。当時、この橋の周辺は、巨椋池という京都府最大の内水が存在し、月見の名所となっていたことから美称的に変更されたものと思われる。巨椋池は現在は干拓によって失われ、月の名所も消滅している。この橋と付近にある温泉旅館月見館が、わずかに名残を伝えるのみである。明治38年に伏見区深草に陸軍第16師団が置かれて以降は、軍道としての性格を併せてもつようになり、城陽市長池にあった長池演習場への往来に使用された。また橋の下を宇治川を年間2万隻ほどの石炭船が往来した。昭和50年には、京阪宇治線と立体交差する形で新観月橋が新たに架けられた。現在は二つの観月橋橋が存在する。歩道は古い観月橋にのみ設置されている。橋の右岸の向島地区には京阪の駅が存在しないため、観月橋駅で降車し、この橋を歩いて渡る方が多い。現在の観月橋周辺は、外環状線、国道24号線、京阪宇治線、近鉄京都線が集まる交通の要となっている。
いつ来ても、絶景特に、夕陽が素晴らしい!
三月、観月橋からの夕日。
仕事で京阪電車に乗る際自転車を駐輪場に停めて駅に向う間にこの橋を歩いて渡ります。京阪電車の乗り場近くに駐輪場が無いので自分の徒歩で約5分位雪降りの日は正直滑りやすいです。
2層になった橋の下の上流側の歩道からの眺めが最高です。何故ならそれより下流側では無粋な作りの橋自体が視野に入り風景をぶち壊すからです。晴れた満月の夕暮れに橋から上流を眺めると山あいから月がのぼります。その時間帯がベストです。
渋滞のメッカ。歩行者も自転車も多い生活の要衝。京阪宇治線が豊後橋側にあるからなのか2階建ての珍しい橋。でも景観的には京都感は無いし美しくも無い。上流側の歩道は自転車と歩行者が別レーンになって安全性が増してスムーズに自転車も通られるようになりました。
元々さん豊後橋と呼ばれる橋が桃山時代に建てられたようですが、幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失し、新たに観月橋が掛けられたそうです。
名前 |
観月橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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いつも橋の上を清掃して下さっている方がいらっしゃるかと思います。ありがとうございます!嘔吐やポイ捨てしてる方、仕方なくないですよ。胸が痛みませんか?