松平信孝の居城跡、歴史の息吹。
山崎城址の特徴
松平信孝の居城として有名な史跡である。
堀や石垣が部分的に残り、歴史を感じられる場所。
神明社の裏手には、堀の跡が美しく保存されている。
一部ですが、堀と石垣が残っていました。
説明文がもう少しほしいです。
安城市指定史跡。1543年に松平信孝(松平広忠の叔父)は、織田方につき、山崎城(大岡城)を築いたとされています。信孝は勝手に所領を広げるなどしたため、広忠と対立しました。現在、神明社の北側に堀が残っており、当時の姿をよくとどめています。
土地改良し過ぎで予想以上に残っていなかった。
2021/11/19神社は土塁の上にあり、北側には素晴らしい空堀がある。なかなか幅が広く、小牧長久手戦の際に改修したとの説もうなづける。
松平信孝築城の平城です。元は方形館だったようですが現在は山崎神明社の裏手に広い空堀が残ります。
松平信孝(徳川家康の祖父の弟)の居城だそうです。空堀はよく残っています。
神明社の裏手に堀の跡がよく残っています。
| 名前 |
山崎城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-yamazakijo.html |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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松平清康(松平7代)の弟信孝居城。天文16年、織田信秀が岡崎城に備えるため山崎城を築き松平広忠と敵対した信孝を居城させた。翌年、信孝は岡崎城を攻めたが明大寺で討死した。方形居館の城。神明社西側に無料駐車場があります。北側に城説明板、りっぱな空堀、土塁あります。1960年代の写真みますと周囲は開発されいなく当時の遺構をだいぶ残していたようですね。