三条通沿いの心安らぐお寺。
金剛寺の特徴
浄土宗の寺院で、奈良時代に起源がある歴史深いお寺です。
三条通に面し、アクセスも良好で便利な立地にあります。
親しみやすい住職さんと素敵な庭が魅力の落ち着いた場所です。
三条通りに面している。 駒札によると 行基によって天平時代に 建てられたお堂が元になっているという。大変な歴史だ。 境内は奥まったところにあり、多くの木々が植えられお寺らしいお寺という感じだ。 本堂と観音堂は京都市の暫定文化財に指定されている。
日々の自分欲深さを反省します。
総本山は知恩院。山号は一切経山。天平年間(729 – 749年)に、行基が東岩倉山 の一切経谷に開いた阿弥陀堂を起源とするお寺です。地下鉄「東山」駅が最寄り。ご本尊の阿弥陀如来像は約4.8メートルと京都市内でも希少な大きな仏像らしいです。また特別公開時には、江戸時代初期の絵師、田口半兵衛の「大涅槃図」も鑑賞できます。なお「お寺カフェ」や「ヨガ教室」など色々と工夫をこらして参拝する人に親しんで貰えるように努められているお寺としても知られています。門前の京都市の説明書きは以下の通り。===========当寺は山号を一切経山とする浄土宗の寺院である。奈良時代、天平年間に行基が東岩倉山(左京区)の一切経谷に創建した阿弥陀堂に起源をもち「上の堂」とも称した。伝えでは、行基は丈六の阿弥陀如来像を彫ったとされる。丈六とは仏像の理想の大きさで一丈程度(約3メートル)になる。応仁の乱で、東岩倉山一帯は戦場となり、当寺は荒廃したが、伝えによると焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者達が見つけだし、それを粟田の地に本尊を遷し、仮堂(粟田惣堂)を建て蔣(こも)(わら)を敷き、その上に阿弥陀如来の頭部像を祀ったところから、今も蹴上には「小物座(蔣座)町」という地名が残る。以降、地元の住民たちによって御堂は守られ信仰されてきたが、慶長七年(一六〇二)に岌然(きゅうねん)上人が、青蓮院門跡の許可を得て、現在の地に堂を移し寺を再興した。 正徳三年(一七一三)には本尊が修復され、享保十五年(一七三〇)には本堂が建立され、現在に至るまた当寺は「洛陽四十八願所巡り」の第二十七番の札所であり、慶長年間の頃から、朱印に「行基菩薩 御作 出陣の弥陀安置」という印を捺している。京都市。
三条通りに面した浄土宗の寺院です。
地域との交流、人とのご縁、これらの取り組みに頭が下がりますー。
浄土宗のお寺で、起源は奈良時代にのぼるようです。苔むしたお庭が素敵でした。
とても優しいご住職さんで親しみやすいです。
平成31年3月21日参拝庫裏にて御朱印(書置き)拝受しました。
浄土宗 一切経山 金剛寺。
名前 |
金剛寺 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-771-2442 |
住所 |
〒605-0036 京都府京都市東山区三条通り白川橋東入る五軒町124 |
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

三条通に面した浄土宗のお寺です。観光寺院ではありませんので普段は非公開のお寺ですが、京都浄土宗寺院特別大公開などで特別公開されることがあります。拝観料は特に必要はないですが、素晴らしい仏様にあった瞬間財布に手が伸びて寄付させていただくことにしました。私一人のためにお経をあげていただき、とても感動しました。公開されているときはぜひとも拝観されることをおすすめします。内陣含め撮影可です。