那古野神社の参道、石碑のそばで!
明倫堂跡の特徴
那古野神社の鳥居をくぐって行くアクセスが分かりやすいです。
駐輪場の横には貴重な石碑と説明板が設置されています。
愛知県立明和高校の近くに位置しており、歴史を感じさせます。
2022年正月に初めて行きました。名古屋東照宮の境内に名勝標札があります。帰宅後、ネットで調べるとこんな歴史が・九代藩主徳川宗睦が天明三年(一七八三)に開設された尾張の藩校初代の総裁には、上杉鷹山の学問の師として知られる細井平洲が招聘された。・藩士の子弟だけでなく、農民や町人にも儒学や国学を教えた。・明治4年(1871)の廃藩置県ともに廃校・江戸時代の天明7年(1787)に建てられた聖堂(孔子を祀るお堂)は、明倫堂が廃止されると民間に払い下げられ、岐阜県羽島市の永照寺に本堂として移築された。→聖堂建築として数少ない遺構の一つであり、岐阜県と羽島市の有形文化財に指定されている。・明治32年(1899)明倫中学校として復活。愛知県立明和高等学校として現在に至る。地元の歴史を知るきっかけになりました。
那古野神社の鳥居をくぐってまっすぐ行くと駐輪場の横に石碑と説明板が有ります。今の明和高校がこれだったそうです。
今の愛知県立明和高校です。こんなところにあったのですね。永井荷風さんのお祖父さんの鷲津毅堂先生が督学をしていた時期もあったそうです。校舎は岐阜県羽島市に移築されています。
| 名前 |
明倫堂跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
052-265-2221 |
| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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天明2年/1783年開校、尾張9代藩主/徳川宗睦が創設した藩校の跡地、初代学長は現在の愛知県東海市出身で儒学者の細井平洲、学生は藩士子弟だけではなく町人や農民にも広く門戸を開放、儒学や国学を教授、最盛期には約500名の生徒が学んだ❗️明治4年/1871年廃藩置県により明倫堂は廃校となり、明治8年/1875年跡地に名古屋城三之丸から名古屋東照宮が遷座し現在に至る🤔