江戸時代の味わい、鶴岡八幡宮大鳥居。
一の鳥居の特徴
寛文8年に徳川家綱が寄進した大鳥居です。
鶴岡八幡宮への道中にあり、分かりやすい場所に位置しています。
江戸時代の石造りで、歴史を感じる建造物が魅力です。
由比ヶ浜海岸の方にある鶴岡八幡宮への1番目の大鳥居、江戸時代の物が関東大震災で壊れコンクリートで再建されたとか。
鎌倉駅から八幡宮へ行くとき、二ノ鳥居や三ノ鳥居は通りますが、一の鳥居は逆方向なので、なかなか行く機会がありませんでした。ちょうど、近くまで来る用事があったので、思い切って訪ねてみました。134号線を走っているとき、大きな鳥居があることは気が付いていたのですが、あまりに大きいので観光用にコンクリートで造ったとばかり思っていました。まさか石造りで国の重要文化財に指定されているとは知りませんでした。近くまで来ると、その大きさに圧倒されます。海に浮かぶ小島のように鳥居の両側を道路が走っていて、横断歩道もないのですが、説明書きに何が書いてあるのか気になって、車が通っていない隙に渡ってみました。説明書きによると、「治承4年(1180) に源頼朝公が建立し、後に再建され、現在の石造の鳥居は寛文8年(1668) のもの。典型的な明神鳥居で規模も全国有数で、昭和25年(1950年)国の需要文化財に指定されている。徳川二代将軍秀忠の夫人が篤く信仰していた八幡大神が夢に現れ、「備前国 (岡山県) の犬島にある石で一ノ鳥居を造れ」 というお告げがあり、 徳川三代将軍家光の誕生をみたとされ、その御礼に家光の子徳川四代将軍家綱が長い年月を経て完成させたものである。 石材 (花崗岩) は海路で 鎌倉まで運ばれ、鶴岡八幡宮三基の鳥居が初めて石造で建てられたのであった。その後関東大震災により全て倒壊折損し、この大鳥居のみ修理再建された。 他二基 (二ノ鳥居・三ノ鳥居) の部材は、境内にある源実朝公歌碑等として遺存している」とのことです。こんな大きな鳥居、どうやって造ったのか興味がわきます。それにしても鎌倉は歴史がありますね。ちょっとした史跡にも歴史上の人物が係わっています。
現在の鳥居は、寛文8年(1668年)に江戸幕府四代将軍徳川家綱によって寄進されたものになります。関東大震災により三つの鳥居は倒壊してしまいましたが、一の鳥居は江戸時代の材料を大切に利用し再興されたそうです。三つの鳥居とは別に由比ヶ浜歩道橋交差点付近に浜の大鳥居跡という鳥居跡があるようですので今度行ってみようと思います♪
鶴岡八幡宮へ続く鳥居です。鶴岡八幡宮本堂へは約1.6kmです。
大きい鳥居です。車が通る大きい道の真ん中に建っています。
鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)つるがおかはちまんぐうおおとりい(いちのとりい)建造物 宗教建築 / 江戸 / 関東神奈川県江戸中期/1668石造明神鳥居柱に寛文八年戊申八月十五日の刻銘がある1基神奈川県鎌倉市雪ノ下重文指定年月日:19040829国宝指定年月日:鶴岡八幡宮重要文化財(文化遺産オンラインより)
この、鶴岡八幡宮“一ノ鳥居”の存在を知らないまま帰ってしまう人が多い。是非とも、鎌倉駅近くの朱鳥居(二ノ鳥居)から更に海の方へ一直線!足を延ばしてみて欲しい。
15年ほど前に、由比ヶ浜で仕事があり、空いた時間に散策しました。まさか国宝とは知りませんでした。こう言う発見が良いですね。
道路の間にある大きな鳥居石碑を見るには道路を横断しないといけないので少し危ないです。
名前 |
一の鳥居 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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ここの鳥居も、鎌倉駅前にある鳥居と同じように撮ってしまう。