松尾芭蕉ゆかりの地、大垣探索!
松尾芭蕉像の特徴
大垣宿の探索中に見つけた松尾芭蕉の像が魅力的です。
奥の細道を旅した記録が感じられる歴史的な場所である。
周辺には奥の細道むすびの地記念館も近くにあります。
この地がおくのほそ道、むすびの地らしい。芭蕉像が有るのはそのため。
奥の細道スタンプラリー的なものがあるらしい。
松尾芭蕉は奥の細道を大垣を結びの地としてここ船町港から桑名へ旅立った。隣りの像は友達の谷木因。弟子の曾良と勘違いしてた。曾良とは加賀の山中温泉で別れてた。
ちょうど晴れてたし、気候も良かったのでこの付近をぶらぶらしているときにこの像を見つけました。
松尾芭蕉の像の近くに川縁に降りることが出来る階段がありますがチェーンが架かっています。自分が行ったときは観光案内の方が『降りても良いよ』と声をかけてくださったので下に降りて撮影することが出来ました。川を挟んで住吉神社、住吉燈台があり当時の面影を色濃く残しています。
奥の細道結びの地記念館のすぐ目の前にあるシンボリックな像です。誰でも思わず記念写真を撮りたくなるのではないでしょうか。
50.大垣【芭蕉自筆影印】①おくの細道紀行文露通もこのみな登迄(?)出(?)む可ひて みのゝ国へ登伴ふ 駒を者やめて大垣乃庄尓入者 曽良も伊勢より可け合 越人も馬越と者せて 女行可家耳入集る 前川子 荊口父子 其外志多しき人々日夜と婦らひて ふ多堂ひ蘇生のもの尓あふ可ことく 且よろこひ 且な希きて 旅のものうさも いま多やま佐るに 長月六日尓なれ者 伊勢能遷宮お可まんと 又婦年に乗て(露通もこのみなと迄(?)出(?)むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒をはやめて大垣の庄に入ば、曽良も伊勢よりかけ合、越人も馬をとばせて、女行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、ふたたび蘇生のものにあふがごとく、且よろこび、且なげきて、旅のものうさも、いまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又ふねに乗て)蛤能婦多み尓別行秋楚(蛤のふたみに別行秋ぞ)【句碑】①むすびの地 谷木因宅跡岐阜県大垣市船町2-26-1「むすびの地記念館」隣 川向蛤乃婦多み尓別行秋曽(蛤のふたみに別行秋ぞ)「自筆『蛤の』発句色紙を拡大」②むすびの地 貝殻橋付近隠家や菊と月と尓田三反(隠家や菊と月とに田三反)(かくれ家や月と菊とに田三反 大垣記念館)「自筆『隠家や』発句懐紙を拡大」③明星輪寺大垣市赤坂4610鳩能聲身尓入王多類岩と哉(鳩の声身に入わたる岩と哉)(鳩の声身に入わたる岩戸哉 大垣記念館)④円通寺大垣市西外側町1-32-1こ毛利居て木の実草の実拾ハ者や(こもり居て木の実草の実拾はばや 大垣記念館)【芭蕉像】①むすびの地《施設・句碑等拡大写真はgoogle検索「芭蕉句碑の解読」》
松尾芭蕉が間違えて訪れた町松尾芭蕉来訪時頭から大便をかけられたと歴史書に記載あり。
「松尾芭蕉ゆかりの地」大垣駅より徒歩で訪ねました。大垣市は水の都で知られ情緒ある川が見られ、住吉燈台の近くに銅像は有りました。芭蕉、旅の終着地でも有りました。
名前 |
松尾芭蕉像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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大垣の門下生、谷木因ととともに2023年9月中旬、大垣宿探訪の際に寄りました。国の名勝に「おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊」として指定されている一角にあります。調べると松尾芭蕉は「奥の細道」の旅をする前に、大垣にいた船問屋でかつ門下生の谷木因を訪ね約1ヶ月滞在→これがきっかけで「奥の細道」の旅のむすびの地は、旅立つ前から大垣と決めたそうです。