鎌倉十橋の静けさを。
勝ノ橋の特徴
寿福寺の山門近くに位置する、本物の歴史を感じるスポットです。
鎌倉の十橋の一つで、静かな佇まいが魅力的です。
幹線道路から離れ、ひっそりとした場所に隠れた石碑があります。
鎌倉十橋の一つ。現在、この場所に橋はない。庚申塔群の裏に、「十橋の一勝の橋」、「明治43年」と書かれた小さな石碑がある。その脇の長い石は、おそらく橋に使われていたものであろう。小津安二郎の「麦秋」に、庚申塔とこの石碑が出てくるが、映画の中では石碑の位置が異なっており、道路拡張の際に移動されたらしい。石碑には、「北西約七町化粧坂上ニ日野俊基ノ墓アリ」と書かれている。庚申塔には、「川上藤沢宿、川下八幡前」と書かれており、今は線路の反対側で暗渠となって直角に曲がっている川がこの辺りにありり、そこに橋があったと推測される。
この石碑を見つけるのにとても時間が掛かりました。ご近所の方に聞きましたがその存在をご存知ありませんでした。この名の由縁は英勝寺を創建した「お勝の方」がこの橋をかけたので勝ノ橋とよばれているそうで、壽福寺の門前に立派な橋がかかっていたそうです。石碑の横に立っている石が橋の敷石らしいのですが、これが本物だと思うとゾクッとします。
名前 |
勝ノ橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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寿福寺の山門近く、庚申塔の裏側に、ひっそりと石碑が置かれていました(隣の石柱は橋の一部でしょうか)。鎌倉十橋の一つなのに、こんなに追いやらなくてもと思うような、分かりにくいところにあります。明治の終わり頃までは、寿福寺の前に中央が盛り上がった立派な石橋があったそうです。いまは暗渠になっていますが、扇川に架かっていたのでしょうね。鎌倉十橋は、どれも架け替えられたり暗渠になっていて、当時を忍ぶものは残されていません。観光都市鎌倉であっても、当時のまま残すというのは難しいのでしょうね。この橋は、英勝院尼お勝の方が架けた橋なので「勝ノ橋」と呼ばれているそうです。お勝の方は、太田道灌の子孫太田康資の娘で、徳川家康の側室。英勝院も先祖太田道灌の邸跡の一部を幕府から払い下げてもらい建てたそうです。