浦島スポットで流れる歴史の水。
井川湯の井戸の特徴
津田式ケーボー号の手押しポンプがユニークで、訪れる価値があります。
南側の住宅地に位置し、道が細々としているため迷う楽しさがあります。
浦島太郎が足を洗ったとされる歴史的な井戸が魅力的です。
「津田式ケーボー号」なる手押しポンプが設置されております。本体を見ると、上部には菱形に「大臣」、その下に縦書き「ケーボー号」、その下の筒部に「津田式」の文字。広島のメーカー「(株)津田式ポンプ製作所」の製品で、昭和16年(1941年)に商工大臣から国産一級品の認定を受けて菱形に「大臣」の社票が認められたそうです。「(株)津田式ポンプ製作所」は昭和45年(1970年)に倒産し、「興陽産業製作所」が手押しポンプの特許と販売権を継承。「興陽産業製作所」が平成22年(2010年)に廃業するにあたり、「(株)友鉄マシン」が同じく特許、販売権を継承したとの事です。飲用は不可ですが、防災用水として利用しているとの事です。消防車が入ってくるのが難しいからですかね。2023年12月再度、伺いましたら「津田式ケーボー号」から「TB式自在口共柄ポンプ(通称:ガチャポン)」でお馴染みの東邦工業㈱の「月星昇進ポンプ」に更新されておりました。完全密閉型なので雨などで水が汚れないようになっています。「月星昇進ポンプ」の写真を新たにアップしますが「津田式ケーボー号」の写真も残しておきます。お隣の井川湯が12月1日より施設の老朽化のため休業されているようです。
京急子安駅の南側の住宅地にある。この付近には昔ながらのポンプ式の井戸が点在しており、現在でも防災時の飲料水確保のために現役であるという。その中に浦島太郎が足を洗ったとされる井戸がある。目標は井川湯の横に有ります。
まるで蜘蛛の巣のように細々張られたここへの道、迷いそうながらもいくつも井戸をみかけました。ここ含めて災害用の井戸なんですよね。浦島太郎の謂れも色々ありますが、逸話を込めても井戸保存として今も姿を変えつつも置いてるってことですね。
浦島太郎が足を洗ったとされる井戸。今も現役で動いているようです。場所は非常に分かりづらく、GoogleMapを頼りにたどり着きました。
浦島スポット。住宅街の中にある古ぼけた井戸。ポンプを押しても水は出てこない。神奈河うらしま組 の表示板、なんだろうこれ。
京急子安駅を出て京急の踏切を超えて国道に出たところの横断歩道を渡ります。そのままの方向に入る道を行って最初の角を左です。昔ながらの漁師町の中にあります。浦島太郎の物語は誰もが知るお話ですが良いことをすると良いことが有る、優しい気持ちを持ちなさいという道徳心を育むお話しです。最後は約束を破ってお爺さんになってしまいますが、それも教えです。しかし井戸が実在するということは?それは興味深いことですね。実話なのでしょうか?
浦島太郎の足洗い井戸と言われても釣瓶(つるべ)井戸ではなく、手押しポンプが有るだけで面影は感じられません。ポンプは長期間使用されていませんからシールや木製ピストンが乾燥していて水を汲む事が出来ません。この辺りは昔の海岸線に近い場所です。浦島太郎が足を洗うには海水でも足りる、また入江川でも足洗いは可能なので神聖な井戸で足を洗う必然性がありません。昔は今より水量はあった筈ですが、満潮時には海水が流入する汽水ですから真水が必要であったのでしょう。足に傷があったとかで禊(みそぎ)が出来ず井戸水を使ったのかもしれません。浦島太郎が異世界から戻ると350年ほど経過していて、両親の墓は神奈川区白幡の地にあると伝え聞いて当地域にやって来たとの事が浦島伝説として残っています。おとぎ話は子供向けに改編されていて、元の話ではいじめらた亀を助けたのではなく、漁に出た浦島太郎が魚を取れずに七色の亀だけが収穫であった。舟で寝入っしまった浦島太郎に美女が現れて話が続くが連れて行かれたのが海中ではなく海上の島だったり山の上だったり異世界の表現は各種あります。伝説らしく矛盾があってもおおらかに受け止める寛容さがあってこそのお話しです。
この井戸は、子安浜に上がった浦島太郎が足を洗ったと伝えられています。子安通一丁目の住宅がかなり密集しているのと、この場所の目印になる表示も無く自力で見つけるのは難易度が高いように思えます。
名前 |
井川湯の井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
〒221-0021 神奈川県横浜市神奈川区子安通1丁目186 |
評価 |
3.6 |
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市の災害用井戸協力の家のプレートが目印である至って普通の井戸である。現在のポンプは東邦工業の最上位機種である月星号になっている。こちらは浦島伝説とは何ら関係はない。