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樋上天満天神社(ひのうえてんまんてんじんしゃ)御祭神 菅原道真公境内社 松社(大己貴命) 梅社(少彦名命)由緒天神社 村内の鎮守なり 寶珠院持(「新編武蔵風土記稿」参照)樋上の地名は、用水の樋に由来するといわれていますが詳細は不明です。地内に古墳後期の集落遺跡があります。社記に「慶長十三申年(1608)十二月本村検地帳二天神前或ハ天神後、天神キワト載セタリ然レバコレ以前ノ勧請ナルべシ」とあります。また、口碑に「樋上天神社は、寛永年中(1624~1644)家数も少なかった氏子が厚い信仰心から、高いお金を出し合って造ったもの」とあります。昭和五十二年(1977)本殿覆屋の屋根替えをした時、寛永(1624~1644)と宝暦(1751~1764)の年紀がある棟札が見つかりました。その後、棟札は再び棟に納められています。「風土記稿」に「天神社 村内の鎮守なり 宝珠院持」とあり、真言宗宝珠院が別当であったことが知られています。本殿の床板は張られていません。これは当地が日光街道裏街道に当たり、博徒の往来が多く、氏子もこの影響を受け当神社に集まっては博打をした名残といわれています。本殿は手入れを受けた時の逃連用抜け穴の入口でした。幣芯を失った金幣が、穴の上に一枚の板を置いて祀ってあります。本殿前に置かれた石製の牛像一対は「享和元年酉五月吉日」の銘があり、できばえの良い像です。境内社に、大己貴命を祀ると伝えられる松社と、少彦名命を祀るという梅社がありますが、由緒は不詳です。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」参照)