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名前 |
山中稲荷大善神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
現在の西関宿の街並みからは全く想像も出来ませんが、江戸から明治にかけて関宿三河岸(内河岸・向河岸・向下河岸)の最盛期には豪商達の建物が所狭しと軒を連ねて「向河岸は日本橋の飛び地」とか「日本三大河港の随一」とさえ言われ栄華を極めていました。この「山中稲荷大善神」も山中某家の「屋敷神」だつたと推定されます。保食神社と蓮花院との位置関係から「明治十年頃の向河岸土地利用図」を読み解いて、「船頭・山中清七」家のものと推測しました。[参考文献:「昭和10年頃の関宿河岸」(加藤光子) 2001年]