桜舞う鳥取城で幻想的なひととき。
鳥取城跡の特徴
鳥取城は戦国期の山城として、歴史的な防御力が特徴です。
山頂本丸跡からのパノラマ展望は圧倒的で、訪れる価値があります。
鳥取砂丘だけでなく、美しい石垣が魅力の城跡でもあります。
太閤ヶ平から山上ノ丸に登りました。以前来た時は天気が崩れて登れなかったので、リベンジできました。山下ノ丸の石垣とは違い、戦国の石垣という感じでした。景色も綺麗です。
桜も満開の時期をやや過ぎていましたが、風が吹くとハラハラと枚散る花弁が、歴史的なシチュエーションとも相まってとても幻想的でした。鳥取は数え切れないぐらい訪れているのにここに来るのは初めてでして、桜吹雪の時期に来れた事は本当にラッキーでした。
鳥取城跡。(201806)【所要時間30分~2時間】※日本100名城 63◆日本100名城スタンプ設置場所・鳥取県立博物館(休館の場合は鳥取市役所本庁舎1階総合窓口または管理室)別名 久松城、久松山城城郭構造 梯郭式平山城天守構造 独立式望楼型3重3階(1573年、非現存)複合式層塔型2重2階地下1階(1605年改、非現存)三階櫓 (独立式層塔型3重3階、1728年再、非現存)築城主 但馬山名氏築城年 天文年間(1532年 - 1555年)主な改修者 吉川経家、宮部継潤、池田長吉主な城主 山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏廃城年 1871年(明治4年)遺構 石垣、堀、井戸指定文化財 国の史跡再建造物 中仕切門、 大手門、擬宝珠橋🅿️駐車場あり、🚻トイレあり。※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。
鳥取駅から、くる梨100円バスを利用しました。約40分程度で山頂に到着しました。気軽に登ったものの結構疲れました。でも、ここからの見晴らしは素晴らしかったです。
熊が出るとのことなので鈴を用意してからの登山になった、天候の良い日曜だったのでナイスな登山日和、石や木の根を階段替わりに登った先に鳥取城後に到着勾配はきつかった。てっぺんからの景色は鳥取を一望でき登ったかいがあったなと思う景色であった駐車場は土日祝日は県庁に止めることを誘導員の方に進められた所見の方は要注意。
山頂本丸跡まで徒歩山道約30分位でした。到着時汗💦びっしょりになりましたが、眺めは最高でした。鳥取市内、湖山池、鳥取砂丘も一望できます。石垣だけでしたら、登り5〜10分位の所で立派な石垣群がたくさんありありました。しかし山頂本丸跡までは良い運動にもなりました。登り口付近にある鳥取市立博物館に無料駐車場があります。有難うございました。
復元整備事業が行われており、以前訪問した時にはなかった擬宝珠橋が工法も含めて再現されていました。山頂までの縄張りは立派で、二の丸から天球丸にかけての石垣も素晴らしい。明治天皇行幸時に建てられた仁風閣も見応えがあります。ここで百名城スタンプが押せ、御城印(3種類)も購入することができます。
日本100名城ですスタンプは仁風閣にあります戦国期の山城である久松山の頂上の山上の丸と、麓にある近世城郭、山下(さんげ)の丸で構成された素晴らしいお城跡です!山上の丸は織田信長公に『隠れなき名城、力攻めするな!』と言わしめ、1581年に羽柴秀吉による兵糧攻めが行われたお城跡です天球丸横の登山道(急坂、急石段、トレッキングシューズが良い)をおよそ20〜30分登ります羽柴秀吉の兵糧攻めで開城されたあと石垣が築かれ、本丸には天守台が残ってます天守台から日本海を見渡す眺めは絶景です!鳥取砂丘も見えます山下の丸は1617年、姫路から転封された池田光政が鳥取32万石の居城として二の丸を拡張しました二の丸には裏御門横の三階櫓、表御門前の菱櫓、登り石垣などが残ってますまた一段上の天球丸には珍しい巻石垣(積み直し)があり見どころは山積みです。
石垣が残る鳥取城跡です。朝、ハイキングしました。天守跡まで登ると眺めが良いです。立派な石垣、特に変わった球状の石垣が印象的です。砂丘以外の観光を探されている方は是非!
名前 |
鳥取城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1432278469689/files/tottorijouseki_0-15.pdf |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

鳥取城は鳥取県鳥取市に築かれた山城で、築城当初は因幡国の守護・山名氏が拠点とし、防御力に優れた構造が特徴でした。その後、戦国時代には羽柴秀吉(豊臣秀吉)による「鳥取城の兵糧攻め」で知られ、城主・吉川経家が切腹し開城したエピソードが有名です。この戦いで秀吉の計略と戦国の厳しさを象徴する一幕となりました。江戸時代に入ると、池田氏が城主となり、久松山山頂の本丸に加え、山麓の二の丸や三の丸が整備されるなど、城郭が大幅に拡張されました。特筆すべきは山陰地方初となる三重櫓が建造された点で、池田氏の富と権力を示す存在でした。さらに、城郭の石垣や堀は精巧な構造を持ち、防御性と美観を両立していたと言われています。鳥取城は1871年の廃城令以降、建物の多くが失われましたが、石垣や堀、天守台が残され、現在もその歴史的価値を伝えています。「城郭の博物館」とも称される鳥取城跡は、戦国時代から近世にかけての城の進化を感じられる貴重なスポットです。