日本唯一の巻石垣、天球丸の迫力。
鳥取城跡 天球丸の特徴
日本で唯一の天球型の巻石垣は必見です。
歴史を感じる石垣と美しい景観が魅力的です。
鳥取城跡の近代的な見所も多く、楽しめます。
夜10時までライトアップされてるので見に行ってみたら出だしの西坂下御門で大きな猪が鼻息鳴らして警備してたので流石に帰りました。雨の夜に無人の城跡で単身で突っ込まれたら助けも呼べずそのまま餌になると思います。次は人がいる時か昼間に来て山頂まで行こうと思います。
城跡の遺構は、よく残っている天守閣や櫓が残っていたらとさぞかし楽しいでしょうでも、歩き回るには十分でした。
「鳥取市:鳥取城跡 天球丸」2024年9月に訪問しました。天球丸が丸い石垣のことだと思っていましたが違っていました。天球丸は広大な敷地をもつ場所です。例の石垣の名前は「巻石垣」と言います。この天球丸の崩壊を防ぐために丸い石垣が築かれたのですが、それが巻石垣です。この巻石垣は、江戸時代の終わり頃に築き足されたものです。同様の目的で築き足された石垣は国内各地の城跡で確認されていますが、いずれも角を持った石垣です。しかし、鳥取城跡のように、角を持たない球面の石垣は、確認事例がなく、全国唯一の大変珍しいものだそうです。
毛利家の重臣、吉川経家が籠城する鳥取城を羽柴秀吉が兵糧攻めで攻略したのは有名。黒田官兵衛によって周辺の米は買い占められ十分な兵糧がない状態で籠城。秀吉は農民2000人を城の中に追いやることで瞬く間に兵糧が枯渇、城内の植物を食べ尽くし4ヶ月耐えるも多くの餓死者を出したそうです。経家は兵の助命を条件に降伏、経家の奮戦を称えた秀吉は故郷へ帰還を勧めるも拒絶、責任をとって自害されました。山頂まで行く予定でしたがクマ出没注意とのことだったので断念しました。
どんな着想から巻石垣を球体にしようと思ったのか?不思議な存在感とフォルム。とても珍しい石垣が見られました。鳥取城の剛健な石垣は見応え満点です。
小雨の日緑の中の城壁が見え迫力があります城門から歩き始めると出だしは低山登山か、と言う感じです暑い日や足腰が心配な方はゆっくり〜水分もお忘れなくここは、昭和34年より城壁の修理が続いていて鳥取のサグラダ ファミリアと呼ばれているとか?城の建物が無い分古に誘われるような気がする所でしたここに城を建てた思いやかの、有名な吉川経家と羽柴秀吉の鳥取城の戦など様々な歴史を感じることができます途中、登るのをやめようか?と小雨のなか思いましが、登ってよかったです上の方から、街並みを見ると素晴らしい城下町だったのだろうと想像したりでした明治になって、城内敷地に建てられた仁風閣と共に素敵ですただし、今は仁風閣は修理中です外からは近くで見る事ができました。
鳥取城跡でんがな~❗駐車場は県庁北側駐車場に停めてね‼️戦国時代秀吉2万の囲い込みで、兵糧攻めにあった悲劇の城❗そんな歴史とロマンを考えながら歩いてみるのも、良いカモンベイビー❗城壁の石垣はものすごいけど、やっぱ天守閣がないと寂しいな~❗そやけど上からの眺めはチョーサイコー❗皆ウオーキングがてら来てみておくなまし~🎵
城跡好きにはたまらない場所。町の中心にそびえる山から、道路が延びており、城を中心に街づくりをしている。コンセプトが稲葉山城に似ている。城を中心に街作りをしたことが分かる。平城と山城のハイブリッドという贅沢な城。そして、堅固。それが、まさか兵糧攻めで落城するとは‥皮肉と秀吉の策に感服。
日本100名城No.63中世と近世が共存した堅城です🏯鳥取城は「日本にかくれなき名山」に築かれた山城と知られ、織田信長が「名城」と称しました。歴史的に著名な羽柴(豊臣)秀吉の兵糧攻めの舞台となり、鳥取城本丸から東に約1.3kmの秀吉本陣·太閤ヶ平も見応えがあります。江戸時代には、山麓が三十二万石の居城として整備され、現在、大手登城路周辺を復元が進みます。城は、山上ノ丸と山下ノ丸からなり、山頂の本丸からの眺めは素晴らしく、鳥取砂丘や日本海を望むこともできます✨スタンプ設置場所は「重要文化財 仁風閣」内にあります。
名前 |
鳥取城跡 天球丸 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0857-30-8421 |
住所 |
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HP |
http://www.city.tottori.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html |
評価 |
4.1 |
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2024/10/22数年前に訪問した時は石垣など全面的に整備工事中でした。今回は普通に石垣もみれたし球面の石垣もみれて満足です。