年に一度の盛大なお祭り、鹿嶋神社へ!
鹿島神社 ・ 医薬神社の特徴
年に一度の盛大なお祭りが開催され、遠方から訪れる人々がいます。
陸奥國信夫郡の一社として、歴史ある神社である鹿島神社です。
社殿に飾られた額絵は素晴らしく、訪れる価値があります。
歴史ある神社⛩️見たいです。神主さん、優しいので 是非訪れて見てください。(*´・ω-)b御朱印頂けます。m(_ _)m
親切丁寧に応対してくれた。
延喜式神名帳の陸奥國信夫郡の項に記載のある鹿嶋神社の論社の一社。すでに紹介した論社としては、福島市岡島に鎮座する鹿島神社もそうです。境内の案内によると、「鹿島神社縁起によると、奈良朝の頃、按察使兼鎮守将軍大野朝臣東人が蝦夷平定のため、東征の折、常陸國より守護神として鹿島明神を勧請し、当地に安置する。この鹿島明神の位置は現在の字古鹿島として地名が残っているところである。」とあります。古鹿島は現在の鎮座地の北東、国見小学校の東側あたりになるので、この由緒によると遷座したことになりますが、具体的な旧地については不明です。当社には医薬神社を合祭しているので、もしかすると、元々、医薬神社があったところに合祀されたのかとも思ったが、そうではなく、医薬神社は明治になって鹿島神社の相殿に祀られたものです。もう一つ、上記の案内によると、大野朝臣東人による創祀とありますが、この「大野朝臣」というのは「多朝臣」ということで間違いないと思います。やはり鹿島神宮のルーツは多氏にあり、東北の鹿島神とその苗裔神は多氏が祀ったものでしょう。なお、この国見町からは旧石器時代から始まり、縄文、弥生時代の遺跡があります。古墳は5世紀から7世紀のものがあり、古代から拓けていた場所です。また、この場所は陸奥國の信夫郡の伊達郷に属し、10世紀には伊達郷は信夫郡から独立して伊達郡となり、平安時代末期は藤原氏の支配下にあった場所です。
国見町藤田北に鎮座する鹿島神社です。御祭神は武甕槌命 (配祀)大名持命 少彦名命。創建は奈良朝の時代(8世紀)に、常陸国より守護神として鹿島明神を勧請したのが始まりと伝えられます。その後、医薬神社を相殿とし現在に至ります。有り難く、”鹿島神社”の御朱印を頂きました。
母と息子の方位除けでお世話になりました。丁寧にお祓いしていただけました。
通り沿いで分かり易い(逆からだと見落とすかも)と思います。行き方次第・・・無人かと思いましたが鳥居横の社務所に声をかけると神職の方がいらして御朱印いただけました。石段左手に4,5台程の🅿有り。
土曜日に行ったら誰もいませんでした。宮司さんの家なのか、声かけづらいです。
道の駅『国見あつかしの郷』で、鹿島神社・藤田宿のポスターを見て、ぶらりと行ってみる事にしました。が、場所がまるで分からなかった‼ごく狭の道や急勾配の坂があるareaを闇雲に走り回るのは、些か危険と考え、あっさり諦める事にしました。ともあれ、鹿島神社の秋の例大祭は、『ふくしまの三大けんか祭り』の一つで、かなりの賑わいみたいです。お祭りの時なら、場所が分からないなんて事もあるまい、あるまい‼令和元年の今年は、10月24日 (木)25日(金) 26日(土)に『秋の例大祭』ですから、その何れの日に出直す事と致しましょう。ふくしまの三大けんか祭り『飯坂のけんか祭り』『二本松市の針道のあばれ山車』『国見・鹿島神社の秋の例大祭』国見・鹿島神社の秋の例大祭は、『山車と山車の揉み合い』という、勇壮かつ華やかなお祭りみたいです。やはり、一度は見てみたい‼余談国見・藤田宿かっては、 『54番目の宿場町』として、大いに栄えました『旧奥山家住宅』六角の塔がある和洋折衷建築大正時代の建物です。『旧佐藤家住宅』江戸時代中期の農民の典型的な住宅となります。この他にも名所・旧跡が多く、散策を楽しむのに良い場所らしい。
社殿に飾られてる額絵は素晴らしいですよ。御朱印も頂けます。
名前 |
鹿島神社 ・ 医薬神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
024-585-2203 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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年に一度、盛大なお祭りをやるので遠方より来てます。三年ぶりに寄ってみたけど、神木を伐ったからか広々としていた。