豊後町の旧町名継承碑。
旧町名継承碑『豊後町』の特徴
旧町名継承碑の存在感が印象的で、歴史を感じます。
豊後町の名前に込められた情緒に心惹かれます。
本町橋近くで立ち寄りやすい史跡です。
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名前 |
旧町名継承碑『豊後町』 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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旧町名継承碑、豊後町。護岸工事も終わってアクセス可能になってます。碑文によれば、明治初頭、大坂三郷北組の豊後町と内平野町の各一部であったが、明治5年に豊後町となった。明治12年に東区に編入され、明治22年の市制施行に伴って、大阪市東区豊後町となった。平成元年に東区は南区との合区によって中央区となり、その際の住居表示の変更に伴って、新しい糸屋町二丁目・新しい内淡路町三丁目・新しい内平野町三丁目・新しい大手通二~三丁目・東高麗橋・本町橋の各一部となり、豊後町という町名はなくなった。この町名は、元禄8年発行の地図に表されており、江戸時代中期には既にこの町名が存在したと思われるが、その由来については定かではない、とのこと。