札幌ファクトリー隣の静かな遺産。
旧永山武四郎邸 / 旧三菱鉱業寮の特徴
屯田兵の父と称される永山武四郎の邸宅が見学できる場所です。
札幌ファクトリー隣接の明治時代の和洋折衷建築が魅力的です。
無料で開放されている静かなオアシス的なスポットです。
札幌市民なのに、こんな場所である事知らず、お恥ずかしい(T . T)格安で邸内のお部屋をレンタル出来るのも驚きました。札幌ファクトリーまで来たら寄ってみるのいいですよ✨✨✨
4月下旬に無料で入れる機会があり訪問しました。古い建築に興味のある方には良い施設かと思います。
ぶらぶらと札幌観光をしている途中で、たまたま見つけて訪れました。外観からここだけ別世界のような趣で、建物内も洋と和が上手く融合された、素敵な建物です。無料で見学できるのも、ありがたいです。サッポロファクトリーのすぐ傍ですので、30分時間があればぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
敷地内はとても静かで、無料開放の建物内も見学できます都会のオアシス的な場所です。
ちょっと通りから外れてるから、混んではいない。白い家に緑の屋根は、なんか引かれる。館内もいくつかの棟が繋がってて、見ごたえあります。
札幌ファクトリー隣にある、北海道遺産の一つです。北海道開拓に尽力して下さった、屯田兵の父!!永山武四郎!!三菱鉱業が鉱山調査のために本部を構えた、洋館、旧三菱鉱業寮。
とても素敵な建物です。必見です。古を感じることが出来ます。
何故か遅い時間までやっていてくれてありがたい。旧陸軍の初代第七師団長。
サッポロファクトリーに隣接している和洋折衷の建物です。桜がキレイに咲いていました。
名前 |
旧永山武四郎邸 / 旧三菱鉱業寮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
011-232-0450 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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「屯田兵の父」と慕われた、永山武四郎。薩摩藩出身の永山は、戊辰戦争に従軍後、陸軍大尉となりますが、明治5年(1872年)に開拓使の官吏となり、札幌に赴任しました。北海道に屯田兵を置くことを新政府に建言し、開拓長官・黒田清隆の命を受け、責任者として明治8年(1875年)に琴似村、翌年、山鼻村に屯田兵村を開き、屯田兵制度の創設に尽力します。翌明治10年(1877年)、屯田兵を率いて西南戦争に参戦。政府軍の一軍として大いに活躍します。明治13年(1880年)頃、永山は現在の場所に私邸を建設。これは当時としては実に珍しいことでした。というのも、開拓使の役人には、官邸が支給されるのが通例で、私邸を建てる役人などいませんでした。自らの家を自費で建てた永山は、北海道を終の住処とし、生涯を北海道に尽くすと決めていたのだと思われます。明治18年(1885年)に永山は、屯田兵本部の初代本部長に、以降、北海道長官、陸軍第七師団長に就任し、その生涯のほとんどを屯田兵制度の発展と北方警備、北海道の開拓に捧げています。永山が創設した屯田兵は道内全域に37兵村。兵は7,337人、家族を含めると約4万人もの人が、北海道の防備と開拓に力を注いだのです。永山は口を開くと「国防こそ大事、備えあれば憂いなし」と語り、「死んだら遺体を札幌の地に埋めよ。死してもこの北海道を守る」と遺言を残し、明治37年(1904年)、67歳の生涯を終えます。遺族は遺言に従い、遺体に軍服を着せて、札幌の墓地に葬りました。永山の死後、明治44年(1911年)に、三菱合資会社がこの永山邸を買取り、炭鉱開発の調査本部とします。昭和12年(1937年)頃、三菱鉱業(株)が建物の一部を解体し、社員が札幌に出張してきた際の宿泊施設として使用するために、新たに緑と白のコントラストが美しい洋館を建築します。これが現在、「旧三菱鉱業寮」と呼ばれている建物です。明治に建てられた木造平屋の「旧永山邸」と、昭和前期のモダンな洋館デザインの「旧三菱鉱業寮」。和洋折衷のこの建物は、昭和60年(1985年)に、当時の三菱鉱業セメント(株)から札幌市が譲り受け、一般公開を開始。保存修復工事を終えた平成30年(2018年)より、新たな歴史観光文化スポットとしてリニューアルオープンしています。知っているようで知らない、永山武四郎と屯田兵。この投稿をするにあたって、ようやく永山の功績が理解できました🤔(2024年8月3日訪問)