東海道五十三次の始まり、品川宿。
東海道品川宿本陣跡の特徴
江戸時代の本陣の跡地がある、歴史を感じるスポットです。
東海道五十三次の第一番目の宿駅として栄えた場所です。
品川宿は、江戸四宿の一つに数えられた重要な位置です。
品川区立聖蹟公園の中に「東海道品川宿本陣跡」の説明文があります。しながわ観光協会によれば『東海道品川宿の本陣跡。明治5年に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院となりましたが、昭和13年に公園として整備され今に至ります。明治元年(1868)の明治天皇東幸の際に行在所となったため「聖蹟公園」という名がついています。江戸時代、品川宿は日本橋を起点とする東海道最初の宿場町として栄えていました。大名や勅使が休息・宿泊する旅宿は本陣といわれ、江戸前期には北品川宿、南品川宿にそれぞれの本陣がありましたが、中期以降は北品川宿1つだけになりました。現在の本陣跡は1771年に定着し、品川三宿のほぼ中央に位置しています。』とのことです。
北品川の入り口にある魚仙で弁当を買い、近くにあった聖蹟公園でランチタイム。品川宿の本陣があったという看板を見つけました。なにも無い公園ですが(トイレあり)、ゆっくりと過ごせました。
公園内の説明板によると----品川区指定史跡東海道品川宿本陣跡所在 北品川二丁目七番二十一号聖蹟公園 指定 昭和五十三年十一月二十二日(史跡第七号)品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、品川三宿の中央に位置していた。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである。明治五年(一八七二)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。現在、跡地は公園となり、明治元年 (一八六八)に明治天皇の行幸の際の 行在所となったことに因み、聖蹟公園 と命名されている。平成十四年三月二十八日品川区教育委員会。
旧東海道の街道沿いにある本陣後。本陣というから、昔は大名などお武家様が宿泊に使った宿の跡なのでしょう。現在は公園となっています。明治天皇もご宿泊になったということです。
東海道五十三次の品川宿本陣があった場所だそうです。児童公園の様な場所に案内板があるだけの場所です。
東海道五十三次の江戸より1番目の宿場で、江戸四宿の一つとされた品川宿。東海道を参勤交代する諸大名、公家、門跡などの宿泊・休憩所として賑わう。特に品川宿は地方からしたら江戸の入り口として、ここで身を清める意味などから正装にしたり、必ず寄る事が多かった。1872(明治5)宿駅制度の廃止は警視庁病院などに利用され、また1868(明治元)年、明治天皇の京からの幸行の際行在所となった。この事から昭和になり地元の働きかけにより、現在では聖蹟公園として憩いの場所となっている。この公園内には記念碑や公園化に尽力した石井鉄太郎の銅造が建つ。が本陣であったという名残は皆無。本陣当時はその裏手に目黒川が流れて、その向こう岸は漁師町であった。
品川宿は東海道53次の第1番目の宿場街として発達した江戸4宿の1つ。 現在、本陣の跡地は公園となり、明治元年(1868年)に明治天皇の行幸の 際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されています。
東海道、江戸・日本橋から出て最初の宿場。現在は北品川地区。
名前 |
東海道品川宿本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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この場所に江戸時代の品川宿の本陣があったとのことです。大名や公家、町民がここで旅の疲れを癒していたと思うと感慨深いですね♪