湯島神社巡り、妻恋に寄り道。
妻戀神社の特徴
妻恋神社は湯島天満宮と神田明神の間にあります。
日本武尊や弟橘媛に由来する神社です。
参拝時にゆったりとした雰囲気を楽しめます。
場所的には湯島天満宮と神田明神の間です。そして、アパホテルの駐車場の前です。御朱印は時間によって書き入れてくれるらしいです。私が行った時は「御朱印書き入れ対応しています」と記載がありました。絵馬にイラストを描かれている方が何名かおり、それが印象的でした。
妻恋神社は、東京都文京区湯島にある神社です。その名の由来は、日本武尊の東国征伐の際、妻の弟橘姫が嵐を鎮めるために海に身を投げたという伝説から来ています。江戸時代には、関東総司稲荷神社として、関東一円を司る稲荷神社として崇敬を集めていました。江戸幕府とも深い関わりがあり、幕府の庇護のもと、人々の信仰を集めてきました。境内はこじんまりとしていますが、静かで落ち着いた雰囲気です。本殿は白木造りで、簡素ながらも品格を感じさせます。境内には、日本武尊と弟橘姫の像があり、二人の悲恋物語をしのぶことができます。
関東稲荷総司巡りその2妻戀神社の妻戀稲荷です。名称は時代で変わっていってる。他の3つと比べると本当の地域のお稲荷さんな感じの慎ましやか。でも屋根に印が乗っかって、んっ?!ってなりましたわ。神田明神が近くにあるのでそれ見た後とかだと更に小さく感じるかも?
神田明神から湯島天神へ向かう途中、清水坂から少し入った脇道に鎮座しているこちらの神社。住宅街にありますがとても神聖な雰囲気があり、格式の高さが伺えます。御朱印もあるようです。
湯島天神と神田明神の間に位置。静かに参拝できる穏やかな神社。週末しか対応していない御朱印が金色で秀逸❣追記2309某日ねこまつり御朱印がある様です。写真参照。
日本武尊が東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき大暴風雨に会い、妃の弟橘媛(弟橘姫命)が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った話に由来する神社です。江戸時代には関東総司稲荷神社とされており、「關東總司 妻戀神社」と称したそうです。王子の稲荷で有名な王子稲荷神社とともに有名だったのかなと想像しつつお参りをしてきました。神門は扇に「御」字です。また、御朱印は土・日10時から5時の間に頂けるようです。
何回も参拝には行くのですが、なかなか御朱印の頂ける時間に縁が無いもので、コツコツと参拝だけはしています‼️そのせいもあり、いつもゆったりと参拝は出来てはいます‼️
<御祭神とご利益>倉稲魂命:五穀豊穣(お稲荷さん)日本武尊:国土安泰、出世開運弟橘媛命:縁結び(日本武尊の妃)<由緒>4世紀ごろ、日本武尊が東国征討の折、三浦半島から房総半島へ渡る途中に暴風雨に遭いました。すると妃の「弟橘媛」が海に身を投げて海神を鎮め、東征を助けました。東征の帰路、妃を失った日本武尊は湯島に滞在。そこで弟橘媛を恋慕する姿を憐れんだ村人が、「日本武尊」と「弟橘媛」を祀ったのが当社の起源とされています。また、道中に日本武尊が妻を恋い慕う歌を詠んだことから、当社に「妻恋」の名がついたと言われています。稲荷神を合祀したので妻恋稲荷と呼ばれ、稲荷信仰の神社として人々に親しまれました。平安時代初期、嵯峨天皇の勅命によって関東惣社に列し、正一位(神社における最高位)を賜りました。幾度の災害に見舞われるもその都度再建されて今日に至ります。
御朱印が頂ける神社。授与の時間は毎週土日の11時から15時とのこと。とても丁寧に直書きして頂けた。神田明神と湯島天神の中間にあるかんじ。どちらからも徒歩5分程度の距離。
名前 |
妻戀神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-5577-5240 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

三ヶ日に自分が訪れたときは、すでに社務所が閉まっていました。お正月だからといって油断をしていました。御朱印を頂きに、また来ます。