内藤新宿の歴史と高遠桜。
内藤新宿開設三百年記念碑の特徴
内藤新宿開設三百年記念碑は、元禄11年に開設された宿場町の歴史を物語っています。
高遠桜が咲く場では、新宿発祥の地を実感できる特別な体験が待っています。
交通の便が良いとは言えないため、静かな場所で歴史を探訪できる魅力があります。
記念植樹の高遠桜は枯死したようですね。根元のひこばえは台木かもしれません。高遠桜は区内の中央公園戸山公園にも植えられています。
内藤新宿は甲州街道四十四次の最初の宿場として栄えました。発展の先に今や東京の最象徴となった街新宿の原点、碑は華やかな超高層ビルから少し離れたところにある分、古に想いを馳せることができます。
新宿発祥の地高遠小彼岸桜咲いたらまた来よう2021.2.14
元禄十一年(1698)6月に、ここから新宿三丁目交差点付近までの約1キロの間に、新たな宿場町として「内藤新宿」が開設されたそうです。
ちょっと分かりづらい所にあります。
名前 |
内藤新宿開設三百年記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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今も使ってるのでしょうか。内藤新宿の地名。元禄十一年(一六九八)六月、阿部川町の名主・高松喜兵衛(後の喜・)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約一kmに、新たな宿場として「内蔵新宿」が開設された。この宿場は、享保三年(一七一八)に一旦廃止されたが、五十四年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衝として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(一九九八)、開設三百年を迎えることとなった。新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、記念碑を建立する。