東京最古の石橋で歴史を感じる。
浅草寺本堂の特徴
元和4年に建造された都内最古の石橋があり、歴史を感じます。
浅草寺内にある供養塔宝篋印塔で神聖な雰囲気を楽しめます。
鯉が泳ぐ影向堂前の池は、フォトジェニックな隠れスポットです。
「台東区:花塚」2024年9月の写真です。花塚とは一体なにか。この説明看板を見るまでさっぱりでした。読んでみると「濁流」(にごりりゅう)の花道の師、「笠翁斉乱鳥」の死を悲しんだ弟子たちによって建てられたものだということが分かりました。もともとは観音堂裏手東北にあったそうですが、昭和31年に現在の場所に移転してきたとあります。【説明看板抜粋】かめに花を挿こと古しへより聞え来れるを近き代には其花をさすにのろ有事と成り其流くさくさに分れぬ。笠翁斉乱鳥其わざを好てこの大城のもとに濁流としなへて弟子あまた有き。こその文月つごもり、齢八十餘八にてみまかり給。浅草本然禅寺に葬ぬ。ことし3月17日、かの翁の親しき友垣に弟子の集りて、かめに花をさして手向つ。其花のなごりを空しくなさむ事を惜み、はた翁の名の朽さらん事をおもひて、浅草寺の大ひさのみ堂のうしろ清らなる所を撰て其花を埋めて花塚と名付て後の世に残しなんとす。彼弟子の中、平石氏乱雨翁え残されしほほに笠翁斉の名を残したれば人々共に計りて其事成ぬ其わきかいつけよとこはるるにいなひあへずして記つ。「文化元年七月千蔭」 浅草観光連盟。
■宝篋印塔/ほうきょういんとう東京都台東区の浅草寺にある供養塔。浅草寺の本堂裏側に建つ石塔。●「宝篋印陀羅尼」(呪文)を内に収めた供養塔を云う。 鎌倉中期以降に全国各地に造立された。 塔形は基本的には方形の階段状の基壇・方形の塔身・笠・屋頂に相輪を載せ、塔身の四面に古くは梵字を刻んだ。高さは2メートル超えの大きな供養塔。現代標札がある。
2023.5.3雰囲気のある石橋鯉も泳いでいて撮影スポット。
なんでも都内最古の石橋なのだという。日光東照宮の正遷宮(元和四年四月十七日)に併せて創建された浅草東照宮に奉納された神橋なのだとか。奉納者は浅野 但馬守 長晟(家康の娘である振姫の婿)とのこと。石材は小松石とされる。欄干の格狭間や擬宝珠が立派。江戸前期に熟練した石工がいたことが分かる。また,下を流れる川が中々に綺麗。太鼓型の桁橋。戦前に国指定の重要美術品となったが,戦後の重要美術品制度の廃止後,重要文化財等に再指定されなかった様である(なお,制度自体は廃止されているが,重要美術品の指定自体は,現在も有効。)。よく観察するに,橋の中程を落ち窪んでいることが分かる。多くの人がこの橋を渡り,磨り減ったのだろう。
石橋の桜もほぼ満開でした。桜の種類まではわかりませんでしたが、こちらはご覧の通り、花びらは白です。
鯉が泳いでいます。
雰囲気がとても良くて心地いいです。
読み方がいしばしじゃなくて、しゃっきょうと読む!小さい橋なのに、都内最古の橋らしい!!!貴重な所に来れた^_^
影向堂境域にある石橋は、元和4年(1618)建造と云われ、東京で最古の石橋と言われています。春は桜、秋は紅葉と映える美しい橋。
| 名前 |
浅草寺本堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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最初の銅像は、第二次世界大戦時中の金属供出で失われたようで、今の銅像は復元された二代目の銅像となります。9代目・市川團十郎が自ら考案した鎌倉権五郎の元禄見得が再現されていて、迫力を出すために普通より大振りにした太刀に手を掛けるシーンが流石です。駐車場の一画、人の流れから外れた場所なので、気づかずに通り過ぎる人も多いですが、「暫く」見る価値有りです。