戸田橋近くの水神宮碑。
水神社(戸田市川岸)の特徴
寛政年(1769年)に由来する水神宮碑がある神社です。
戸田橋(東)交差点近くのアクセス良好な場所に位置しています。
新河岸川の渡しの歴史を感じられる小さな神社です。
創立年代などは不詳なものの、水神宮碑には寛政年(1769年)の銘が刻まれている。境内には他に、船玉大明神、大杉大神の石碑もある。水神宮の水神は非常に多くの神が当てられているのだが、そのほとんどは農業や井戸・水場などの一般生活に結び付いたもので、河川の治水や水難除けで祀られるのは、主なところで福岡県の水天宮や奈良県の廣瀬大社などが知られる。船玉大明神は、現在は大阪住吉大社の摂社となっている。往古は延喜式に記載される式内社であり、昭和中期までは第四本殿前に鎮座し、紀州三所神の志麻神社・静火神社・伊達神社(いずれも延喜式の名神大社)の本社とされている。大杉大神は、茨城の日光東照宮とも称される豪奢な社殿を持つ大杉神社からの勧請。元々、大杉神社周辺は香取の海と呼ばれる大きな内海で、船舶運航の守り神となっていたという。そのため、江戸時代の河岸場や渡し場には大杉神社を祀ることが多かった。現在残る大杉神社の分社が祀られている場所は(合祀後の遷座は別として)、多くの場合かつて船運に関係の深かった地である。近辺の地蔵堂が往時から移設されていないことを前提とすると(移動した記録はない)、戸田側の渡し場はほぼ史跡標柱の位置である。中山道分間延絵図には、当地は「稲荷」と記されている。「水神宮は元は荒川の端にあり、新堤防が出来てから移された」とあるので、これらの石碑が稲荷神社跡地に移されたのか、はたまた稲荷神社は近隣の別地にあったのかは定かではない。ちなみに、稲荷神社はおそらく下戸田氷川神社に合祀されている。明治40年(1907年)合祀社の中に「字渡舟場・稲荷社」の記録が見える。
いつも朝にお参りへいきますが、必ずお供えをしてくれる方がいて本当に心から笑みが自然に出ます。有り難うございますm(_ _)m
小さな神社ですが、新河岸川に渡しがあったことを思いださせてくれます。
戸田橋(東)交差点の近くにある神社。
| 名前 |
水神社(戸田市川岸) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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戸田市に長く住んでいながら最近知った神社。川岸の氏神様でもあり、⛩️名前のとおり船の守り神、航海安全の神が祀られている様ですね。