富士塚で巡る歴史の神社。
敷島神社の特徴
敷島神社は志木市の住宅街にある神社です。
参拝者は富士塚の前に車を停められ便利です。
明治40年に複数の神社が合祀されて成立しました。
令和7年の初詣に伺いました地方都市の小さな神社にしては本殿までの長ーい行列お賽銭箱を前にお詣りするスペースの間口が狭いので、横に2人並ぶのがやっとそのため横2列の長ーい行列ができているのです敷島神社の揃いの法被?を着た氏子の世話役達は特に誘導するでも無く焚火にあたりお神酒を召して大騒ぎするのみお参りの善男善女が寒風に晒されて行列していても何とも思って無いのだろうな改善点はあるのに。
日曜日に訪問。御朱印を頂きに行ったところ、田子山富士塚に登れるとのことで、登ってきました。今まで登った富士塚のなかで一番眺めが良かったです。近くに新河岸川の散策路あり。御朱印を用意してくれた神社の関係者の方に道を聞きました。
参拝者は鳥居を潜って富士塚の前のスペースに車を停められる。手水舎で手を清めて、正中を外して参道を歩く。敷島神社敷地内には、大物主神が祀られた琴比羅神社、稲荷神社、国家のために殉難した人たちが祀られた護国神社がある。土曜でも人が少なくて静かで良い。2024/03/02
社格は旧村社。住宅地の中にあり、場所はわかりずらい。御朱印は大安、友引の日には、境内で頂けます。¥300 志木の商工会の方が担当しています。参拝した日は不在で、兼務社の水宮神社で直書きで頂きました。¥500境内には田子山富士という富士塚が、あります。
志木市では、それなりに大きい神社のようです。富士塚がありましたが、あいにくの小雨天気のため、閉山されていました。境内に多くの摂社がありました。
敷島神社は、当地の浅間神社に、字市場の村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と無格社の水神社の三社を明治40年に合祀、社名を敷島神社と改称して成立したといいます。浅間神社は、田子山塚と呼ばれていた塚から引又町の高須庄吉が暦応3年(1340)の板碑を発見し、明治5年に富士塚として造成したといいます。
たまたま行った日は、境内の富士山に登ることが出来ました。かつての富士山信仰の遺跡として価値あるものだと思います。当日は保存会の地元の人々からの説明もありました。富士塚として高い価値があると思います。
明治40年(1907年)、当地の浅間神社に村山稲荷神社・星野稲荷神社・水神社の三社を合祀し、社名を敷島神社に改称したと云われています。御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)、罔象女大神(みずはのめのおおかみ)です。境内には「田子山富士」と呼ばれる高さ9mの富士塚があり、入山日には登る事が出来ます。入山日はHPで調べられます。みずほ台駅から徒歩で約15分。境内に駐車スペースもあります。
地元氏神様で行事ごとにお参りさせて頂いてます田子山富士はタイミングが良ければ登山出来ます。
名前 |
敷島神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-473-2734 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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「敷島神社」は、志木の住宅街にある神社になります。神社内には子供用の遊具などもあり、近所に年配の方や雑談していたり子ども達が遊んでいるなど、住宅街にすごく馴染んでいる神社のように思えました。(^ ^)私が訪問した際はあいにくの天気だったので見れませんでしたが、天気が良い日の場合、大きい富士塚から富士山を見ることが出来るようです。