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名前 |
崇福寺 三塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
長崎市指定史跡崇福寺の後山(うしろやま)、開山堂(かいざんどう)の真裏にあたる所に、三基の大きく立派な墓塔が並んでいる。中央の塔が、 唐僧隠元(いんげん)禅師が宇治の黄檗山(おうばくさん)の松隠堂(しょういんどう)に隠居して77歳のとき、弟子の即非禅師53歳が師の髪をいただいて埋めて造った隠元の寿塔(生存中に造る墓)である。 できあがったのは翌寛文9年(1669)3月であった。向かって右の塔は、 寛文11年(1671)5月20日即非禅師が56歳で示寂したとき火葬に付して得た遺骨の半分を埋めた即非禅師舎利塔(しゃりとう)である。向かって左の塔は、元禄6年(1693)唐僧玉岡(ぎょっこう)や和僧の江外(こうがい)たちが、師の千呆(せんがい)のために造った千呆の寿塔である。長崎市HPより。