熊野信仰の源、阿須賀神社。
阿須賀神社の特徴
2月の御燈祭では松明を持った行列が神社を起点に進む様子が魅力的です。
世界遺産に登録された阿須賀神社は、熊野三山巡りの重要な一社です。
こじんまりとした神社ながら、歴史あるお社の前でパワーを感じられます。
阿須賀神社は、熊野信仰発祥の地の一つとされる由緒ある古社である。社伝によれば、創建は紀元前5世紀頃で、境内からは弥生時代から古墳時代の住居跡や祭祀遺物が発見されている。神体山とされる蓬莱山は自然崇拝の対象であり、熊野権現信仰の原点ともいえる。神社は平安時代には「阿須賀王子」と呼ばれ、熊野詣の巡礼者が立ち寄る要所だった。祭神は事解之男命のほか、熊野三山の神々を祀り、神武天皇東征や中国の徐福伝説とも関連づけられる。中世には神仏習合が進み、大威徳明王を本地仏として祀り、懸仏(御正体)などが奉納され、神社は寺院的性格を持つ宮寺として栄えた。明治期の神仏分離令により仏教要素は排除され、神社本来の姿へと転換。現在も地元住民による信仰が継続され、例祭や神馬巡業などの神事が守られている。また、新宮市立歴史民俗資料館が境内に設けられ、遺物の保管・展示とともに文化財の保存活動が進められている。2004年、阿須賀神社と蓬莱山は「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録された。文化的景観の中核としての価値が評価され、熊野古道との関連や自然との調和が注目されている。登録後は環境整備や学術調査が行われ、文化的景観の保全と活用が進んだ。現代では、国内外の観光客が訪れる名所としても知られ、英語ガイド付きの参詣道ツアーなども行われている。地域の祭礼や徐福伝説にちなんだイベント、教育活動などを通じて、阿須賀神社は地域アイデンティティの核としての役割も果たしている。こうした多面的な価値により、同神社は過去から現在に至るまで信仰と文化の結節点として重要な位置を占め続けている。
第5代孝昭天皇の創祀というから、紀元前の時代ですから、さすがの熊野地方の神社です。神武天皇の東征でおそらくこの新宮の地にから北上したことでしょうから、本当に由緒ある神社だと思います。
新宮駅から数分で行ける熊野信仰を体現する神社の一つ。訪問時は参拝者も他にいなく、静謐な空間で癒しをたっぷり感じました。朱色がとっても映えていました。
タクシーの運転手に聞いた話ですが、2月頃催される「御燈祭」の際、火のついた松明を持った人々が、この神社を起点に神倉神社に向かい、此の火灯で以てこの行事がとりおこなわれるそうです。結構由緒ある神社のようです。有料ですが、直ぐ側に興味をそそる内容の資料館もあります。
熊野三山、神倉神社とあわせてお詣りしました。静かな場所で神聖な雰囲気でした。またお詣りします。
速玉神社に伺った際に、妻の名前と同じ名前の神社が(漢字は違いますが)‼️三山を1日で巡る旅行の最中に道の看板に気付き寄らさせて頂きました。住宅街の奥に密やかに佇まれている様は、観光やお参りだけで無いひと時の静寂を感じられました。
アスカ神社の名前を見てよりましたが、世界遺産の歴史ある神社さんでした。徐福伝説も興味深いですが個人的には事解男命が気になります。御祭神の熊野三神の先頭に登場してますね〜なんか気になる神様。世界遺産ですが、民家の中、駐車場は数台。
平安時代からの歴史のある古社ですね。隣の博物館に新宮城のスタンプはあります。町おこしや維持管理を考えたらスタンプ押すために入場料ぐらいは払っても良いと思いました。駐車場もありアクセスしやすかったです。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、2016年(平成28年)に熊野参詣道の世界遺産登録範囲を追加申請した時に、他の道や跡と一緒に追加されたようです。由緒には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されたように、創建は不詳ながら紀元前とされるなど歴史ある場所です。後ろの蓬莱山を背に佇む社殿は庶民的で心地のいい場所でした。参拝祈念に御朱印をいただいて参りました。
名前 |
阿須賀神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0735-22-3986 |
住所 |
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HP |
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8002 |
評価 |
4.1 |
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夕方に訪れたため本殿は閉まってました。小ぶりな神社ですが、朱が冴えた素敵な神社でした。