江戸期の風情漂う木屋瀬の船庄屋。
船庄屋跡(梅本家)の特徴
木屋瀬の江戸期の建物で、庄屋文化を体感できる場所です。
年貢米の集積場と川舟管理の歴史を感じる史跡です。
梅本家の船庄屋跡には立派なお屋敷と案内板があります。
船庄屋跡ですが代々受け継がれ生活されている感じが、なんとも羨ましいと何故か思いました。そんな、ところでした。
木屋瀬(こやのせ)は長崎街道の宿場町ですが、遠賀川の水運の拠点としても栄えたことを象徴する江戸期の建物で、当主の梅本家は年貢米を運送する権利を有する二十四の川舟を束ねる役割の船庄屋さまでした。
立派なお屋敷の前に案内板がある。「この建物は江戸時代末期の建物で」「平入りの切妻造り、外壁は大壁造り」なるほどなるほど、建築の素人にとってこういう解説はありがたい。特に「おぉ!」と感心したのは「かつては茅葺だった」の部分だ。江戸末期 町屋建築には高さ制限があり、完全な2階建てよりもちょっと低い「中二階」までとされていた。この建物もちゃんと中二階になっている。だがこのお屋敷、中二階にしては屋根が高すぎる。高さだけでいえば総二階と変わらないじゃないか。この矛盾を説明するのが「茅葺」というわけだ。屋根を茅葺にするためにはある程度の傾斜をつける必要がある。傾斜をつけるためには屋根の頭頂部を高くする必要がある。なるほどなぁ。これはいい勉強をさせてもらった。
| 名前 |
船庄屋跡(梅本家) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒807-1261 福岡県北九州市八幡西区木屋瀬4丁目7−7 |
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木屋瀬には、年貢米の集積場があり、その輸送の権利を持った24艘の管理をしていた庄屋さんです。子孫の方が住んでいらっしゃいます。