佐々木小次郎の碑、隠れた魅力。
佐々木巌流之碑の特徴
ひっそりと隠れるように建つ佐々木小次郎の碑が魅力的です。
1910年に建立された歴史ある石碑の存在感が印象的です。
明治時代に移設されたこの碑はメインルートから外れています。
巌流島できちんと祀られている。
像以外は何も無い島と思っていたのに佐々木小次郎のお墓でしょうか?ここで眠っていたのかと驚きました。
いつの頃からか移設されたそうで、かつては島の中央にあったそうです。
佐々木小次郎は、決闘の像では美青年に描かれています。出生年が不明のため年齢は定かではありません。武蔵よりも年上の老人であったとの見解もあります。「燕返し(つばめがえし)」という技は、長さが三尺(約90cm)以上の刀を用い、相手の間合いの外で振り下ろす。そこで相手は間合いに入ってくるので、振り下ろした刀を瞬時に返して切り上げるというものです。決闘では、武蔵の「木刃の一撃」により、小次郎は「燕返し」の技を使うことなく敗れました。決闘の後、勝者の宮本武蔵は、細川家に仕えて晩年を全うしました。地元の人々は、敗者を想い、小次郎の流派「岩流(巌流)」をとって、後に「巌流島」と呼ぶようになり、ここに巌流之碑が建てられました。
巌流島を少し奥に入り右手の方に隠れる様にしてひっそり建っています。むかし(1910年)は島の中央に建てられていたようです。島の埋め立て完成を記念して建立され、碑文にも「舟嶋開鑿工事成功之際建立」とありますが、かつては小次郎の墓と伝えられる卵塔型の石もあったと言われています。今でも言い伝えられる話によると、「(巌流島の)小池のあたりに岸柳の墓と称せられやゝ卵塔型の、重さ十貫目位の石があった。この墓石を見るものの内で岸柳を悪む心のあるものは、足にて蹶り仆したがその祟りを恐れ帰りには、これを直して元の如くする習わしがあった」とされています。佐々木小次郎・・・祟るのか・・。今では彼の流派?は島の名となって観光地ですが私有地もあり入れない場所もあります。
1910年10月船島開削工事成功の際建立されたと記載されています。佐々木小次郎は生年不詳ですが安土桃山時代から江戸時代初期に実在した剣客で、巌流を名乗ったといわれています。この舟島で1612年宮本武蔵と決闘を行い敗れます。それより、この舟島は巌流島と呼ばれるようになります。この二大剣客の戦いは永く語り継がれ、多くの小説にも書かれ、映画やテレビでも制作されました。
舟島神社を過ぎて、村上元三氏の船形文学碑は関門海峡が見渡せる景色の良い、視界の開けた場所にあるのですが、佐々木巌流の碑はちょっとその後ろ側です。木の説明板があり、この碑は明治43年(1910年)、巌流島の開鑿工事が完成したのを記念して建てられたとありました。当時は島の中央にあったのですが、現在は今ある北側に移されたそうです。ここでは敗者となった佐々木小次郎を忍ぶ事が出来ます。
明治時代に建てられ移動された石碑ですメインルートから少し外れた場所にあるのでお見逃しのないように。
名前 |
佐々木巌流之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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小次郎の碑があります。