竈の神に思い馳せて。
生駒家四代高俊のとき、江東川の流れを西側に合流させた。このとき、城下町の給水源として給水地や井戸をつくった。その後、町の発展に伴い諸用水が不足したので、高松藩処断藩主松平頼重は正保元年(1644年)家臣に命じて上水道工事を行い、亀井戸、大井戸、今井戸などの給水池を整備し、地中に土管や木桶・竹菅などを埋めて通水した。この場所が今井戸跡で良質の清水が湧き出て、藤蔓(ふじづる)が繁茂していたので藤森といったという。ここに、かまどをつかさどる神、興津彦命・興津姫命をまつり、藤森神社として敬神した。
名前 |
藤森神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E8%97%A4%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
評価 |
4.3 |
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今でこそ街中のビルに囲まれた場所にひっそり佇んでいますが、昔に思いを馳せてみると由縁を感じます竈の神を調べると「古来、日本では家の中に様々な神さまがいると考えられており、それぞれが家の守り神と信じられていました。家の守り神として水神、厠神、納戸神、箒神とありますが、もっとも代表的な神さまがカマド神でした。カマド神は私達の祖先が土間で火を使う生活を始めた時から信仰されていた古い神さまです。台所の火を司るカマド神は、その火を使って調理される食物を通し、その家族の生活すべてを支配する力をもつと考えられていました。そのため火伏せの神だけではなく、作神(豊穣神)として家族を守護するものとして信仰されています。現在でも地方の家には台所に神棚が設けられお札が貼ってあります。」とのことです。