江戸の風情を感じる勘助橋跡。
勘助橋跡の碑の特徴
勘助橋は江戸時代に架けられた歴史ある橋の跡です。
おうむ公園内には折口信夫生誕の地の碑も併設されています。
勘助橋跡の碑は鼬川沿いに位置する重要な史跡です。
江戸時代にあった橋の跡を示す碑。鴎町公園敷地の北西角あたりにあります。
おうむ公園の中に,折口信夫生誕の地の碑と勘助橋跡の碑が有ります⭕⭕
本名・中村勘助。大正14年(1586)に相模国(現・神奈川)に生まれて、豊臣秀吉に仕え、大坂城築城の際は堤防工事や新田開発を背負い、たいへん重用されたと言います。また徳川時代にも、川崎の東照宮普請や河川御用係として活躍し、木津川の開削により大坂の発展に寄与しました。勘助橋は、その勘助が架けた橋の跡地で、石碑の側面には『橋はなくとも 勘助橋は 渡りますぞえ いつまでも』の俗謡が彫られています。
勘助橋は鼬川(いたちかわ)に架かっていた橋で、木津勘助が架けたといわれています。鼬川はドブ川となったため昭和15年(1940年)に大半が埋め立てられ、昭和29年(1954年)には全域が埋め立てられてました。勘助橋は今は無く、昭和29年に建立された石碑のみがあります。石碑には、「橋は無くとも 勘助橋は残りますそへ いつまても」
名前 |
勘助橋跡の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://atta2.weblogs.jp/osakaphotog/2010/10/%E5%8B%98%E5%8A%A9%E6%A9%8B%E8%B7%A1.html |
評価 |
3.8 |
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石碑と跡地は異なり、実際は西50m付近にありました。