葭原通りに息づく地蔵の歴史。
沖向地蔵尊の特徴
地蔵尊は、大正10年の移転によって葭原墓地から独立した貴重な存在です。
かつての遊郭街が広がっていた葭原通沿いにあり歴史を感じられます。
この地区に残る数少ない遺構の一つで、大阪七墓の一つとして評価されています。
葭原通りにある旧葭原墓地の数少ない遺構。
もともとこの地にあった大阪七墓の一つ、葭原(よしわら)墓地のお寺にまつられていた地蔵尊ですが、大正10年の移転により墓地はなくなり、地蔵尊だけが残っています。葭原墓地の名前のとおり、古代このあたりから西側には、葦(あし・よし)の生い茂る低湿地が広がり、地蔵尊が顔を向ける西側に海を見渡すことができたことから、沖向地蔵尊と呼ばれるようになったと伝えられています。今でもお堂は綺麗に手入れされていて、近所の方の信仰を集めていることがわかる地蔵尊でした。
名前 |
沖向地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.8 |
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このお地蔵さんから南側の天五までが葭原通でかつての遊郭街。北側は葭原墓地跡です。今昔館や𝙁𝙍𝙀𝙀𝘿𝙊𝙈辺りまでが墓地の範囲でした。