和束井手線で感じる歴史と紅葉。
後醍醐天皇 松の下露跡の特徴
1331年の歴史的な和歌の詠まれた場所です。
春と秋には、美しい紅葉風景が楽しめますよ。
歌碑があるため、訪れる際は要チェックです。
2023.12 和束井手線沿い、晩秋の紅葉風景(歌碑は見落としました…😅🙇♂️)
気づかずに素通りしてしまった。
集落の入り口にありますがちょっと気付きにくいです。
名前 |
後醍醐天皇 松の下露跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.town.ide.kyoto.jp/rekishi_kanko/kankou_meisyo/1417411006712.html |
評価 |
3.4 |
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太平記では1331年、笠置山に籠る後醍醐天皇が敗走し疲れきって、万里小路藤房、季房と和歌を詠んだ場所です。「いかにせむたのむ陰とて立ち寄ればなお袖濡らす松の下露(藤房)」笠置山からこの場所に来る道筋は、木津川を渡り瓶原(恭仁京跡)~(海住山寺?)~神童子を経てとあります。しかし、この位置で松の下露を詠んだなら「夢のお告げで南河内(千早赤阪)の楠木正成を頼って落ち延びる…」という理由とは真逆のルートを取ったのですね。道に迷ったとよく言われますが同行の藤房は貴族の坊っちゃんではなく、七万の幕府軍に攻められ笠置山に立籠る中で正成に勅旨を伝えに行くほどの武士顔負けの行動派ですから、すでに道を知っていますし、後醍醐天皇は一体どこに行こうとしていたのでしょう。