岡本一平の足跡、東八楼で巡る。
岡本一平終焉の地碑の特徴
岐阜県美濃加茂市の古井町で散策中に見つけた碑です。
岡本一平が亡くなった地を記録する重要な場所です。
東八楼近くにあり、川沿いウォーキングに最適です。
中山道を散策中。金木犀の香りがとても良いです。
川沿いウォキングの時に発見した。
岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。妻は小説家の岡本かの子。画家・岡本太郎の父親である。太平洋戦争末期、岐阜県加茂郡白川町に疎開。終戦後、ユーモアを織り込んだ十七文字形式の短詩「漫俳」を提唱した。1946年より加茂郡古井町下古井(現在の美濃加茂市)に移り、当地で没するまで文芸活動を行った。一平最晩年の住居「糸遊庵」は太田宿中山道会館に再現されている。
岡本一平がこの地で亡くなった事を後世に伝えています。
この付近で岡本一平は荼毘に付されたようです。糸遊庵の二階の展示で葬儀の様子が紹介されています。
| 名前 |
岡本一平終焉の地碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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右側面の碑文は、「美濃加茂市古井町下古井同神明堂、岸清二氏の離れ、現在地より北方約100m、21号線沿い 「東八楼」(糸遊庵とも呼ぶ。現在、中山道会館に移築、復元) において、徹夜で原稿を書き続け、やっとペンを置いて風呂に入りその場に倒れた。昭23年10月11日午後6時40分、享年62歳。机の上には、「一休禅師の伝記」 の原稿があった。」