源頼朝公が着替えた特別な場所。
源頼朝が日向薬師参拝の際に、旅姿から白装束に着替えたと言われる場所。日向薬師山門に続く石段下に案内板あり。それ以外に痕跡はない。このような伝承があるということは、この地点より先は聖域と見なされていたということなのでしょう。以下、案内板の内容いしば(衣裳場)頼朝公が日向薬師参詣の時、ここにおいて旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたところから「衣裳場」といわれ、現在はなまって「いしば」とよばれています。鎌倉時代、征夷大将軍の源頼朝は、娘が建久5年(1194年)7月29日から危篤状態におちいり八方手をつくしたが、遂にその効あらわれないので、相模国で霊場として並びないほど信仰をあつめていた日向薬師に参詣し、病気全快を祈るため建久5年8月8日の明け方・寅の刻(午前4時頃)に鎌倉武士をしたがえて、日かげ道(大山道)を通り神明橋を渡って、熊野・白髭の両社の間の道からここに到着しました。日向薬師参詣は、先陣の随兵として14名、中陣の随兵として22名、後陣の随兵として14名の諸将たちをしたがえての行列は、日向全山を圧し、まさに壮観のきわみであったと伝えられています。
名前 |
いしば(衣裳場) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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(二代目 関東の覇者)源頼朝公が御参りの際に正装にお着替えになられた場所とされています。ただそれだけの場所なんですが…関東の覇者も礼儀作法の筋をキチンと通すというのが…昔の人はやはり感慨深いのです。あと源氏の他小田原北条氏、鎌倉北条氏、徳川氏辺りも日向薬師を手厚く庇護していると思います。(因みに関東の覇者の初代は平将門公、二代目が源頼朝公、三代目が北条氏康公、四代目が徳川家康公という感じでしょうか。二代目と四代目は関東制覇と合わせて全国制覇ですが。関東辺りを拠点にしたという意味で。鎌倉北条氏は執権なんで数に入れないとして)