歴史を感じる砲台散策。
品川第三台場 砲台跡の特徴
◆20241221仕事の合間にお台場散歩〜🧍砲台跡?は後付けぽいけど(・_・;)フジテレビ見えるしレインボーブリッジ目の前だし巨大噴水予定地だし人気でそうですー(●^o^●)地震観測所と石垣と石室あって地下施設ありそうですー🤔
お台場って若い頃はデートスポットとしか思ってなかったけど台場の名称って大砲の台の場所って意味でさらに幕府直轄の地には御をつけるので『御台場』って地名なんですねしかもこの台場外国船を打ち払う目的の軍事基地で1853年にペリーが来てから作り始めわずか1年でここを含む5箇所の台場を完成させました現在は道がつながっていて歩いて渡れますが当時は船で?海の中に巨大な要塞を作ったかと...想像を絶する凄さに感動します台場にはそれぞれ警備のために藩が駐屯してましたがこの第三台場は忍藩(埼玉)が警備してたそうです埼玉から歩いて来て泊まり込みで警備してたのか...とか色々想像しながら歩くとメッチャ興奮しましたペリーも1年後に再来日したらこんなん出来ててちょっとはビビった...んですかね?
東京オリンピックの際は閉鎖されており3年ぶりに上陸が叶いました。江戸時代の終盤には黒船襲来に備えて台場を整備したが、実際に大砲が火を放つ事は無かったらしい。鎖国時に外国船が江戸のこんなところまで入ってきた段階で既に勝負ありだったのかもしれない。今は都民の憩いの場としてレインボーブリッジや海の眺められて綺麗です。砲台跡もコンクリートなので当時のものでは無くレプリカになるんだそうだが、実際に当たるもんなのかな〜
日曜日に海浜公園で、ピクニックして砲台跡を散策した。入口付近にゴミ箱あり。日陰は少なめなので散策時には日傘があると良い。レインボーブリッジ側には松の日陰とベンチがあるので、ランチしても良いと思う。皆さん、本を読んだり日焼けをしたり思い思いの時間を過ごしていて、平和な空間でした。
なんとも眺めが良いことか。黒船もクッキリ見えたでことでしょう。1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、老中首座の阿部正弘の命で品川台場(お台場)を築造した。江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基ないし12基[1] の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ[2]、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である[3] 。埋め立てに用いる土は高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して調達した。また、そのために東海道の高輪通りを昼間は通行止めにした[4]。ペリー艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で、まず海上に第一台場から第三台場が完成、その後に第五台場と第六台場が完成した。第七台場は未完成、第八台場以降は未着手で終わった。第四台場は7割ほど完成していたが工事は一旦中断され、7年後に工事が再開されて完成した。第四台場は後日、造船所の敷地となった。また第四台場の代わりに品川の御殿山のふもとに品川区立台場小学校御殿山下台場が建設され、結局、合計8つの台場が建設された。現在は台場公園として開放されている第三台場と、他の埠頭などとつながっていない第六台場が残されている。完成した台場の防衛は江戸湾の海防を担当していた譜代大名の川越藩(第一台場)、会津藩(第二台場)、忍藩(第三台場)の3藩が担った。この砲台は十字砲火に対応しており、敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃を加えることで敵船の損傷を激しくすることを狙ったものである。2度目の黒船来襲に対し、幕府はこの品川台場建設を急がせ、佐賀藩で作らせた洋式砲を据えたが、結局この砲台は一度も火を噴くことなく開国することとなった。
レインボーブリッジと砲台跡とレアなシチュエーションです。夜間は真っ暗なので注意が必要です。
続日本100名城No.124。幕末にペリー来航を受けて作られた軍事施設の砲台です。今ある砲台は、コンクリートのレプリカのようです。第三台場は、今は公園として整備されています。第六台場は立ち入ることができませんが、第三台場共々レインボーブリッジ遊歩道から見下ろすことができます。写真映えする公園です。100名城スタンプは、お台場海浜公園管理事務所で押しました。
☆台場u003d砲台場、現在の第三台場に設置されている2基の「砲台」、江戸時代の史料や記録を元に昭和8年(1933年)に復元された実物大レプリカ、幕末当時の雰囲気出してます👀西洋築城法により五角形の堡塁式、嘉永7年(1854)築城当時は外周に合計29門の大砲が配備されていました、幕府の本気度分かります😲
石で出来た砲台です。方向転換が出来ないため威嚇のための砲台かなぁ?風雨にさらされている為、傷みが進んでますね。
| 名前 |
品川第三台場 砲台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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春になり緑が多くなってきました。松も順調に成長中です。