太田道灌が岩槻城を築城する際に構えた土塁、堀の跡。
| 名前 |
岩槻城大構 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/003/p002242.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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太田道灌が岩槻城を築城する際に構えた土塁、堀の跡。この地に土塁を築こうとしたとき小さな祠が見つかり「火具土命」と書かれていたことから火防の神である愛宕大神を祀る神社を共に築いた、とされる。その後の豊臣氏の小田原攻めに際して土塁は拡張されたそうである。いまは神社の参道階段などの丘が土塁の跡として残されているようだが、コンクリートなどでガッツリ造成されているので、なんとも分からないが、小高くなっていることは確かである。土塁の外側が堀になっていたとのことだが、その辺はいまは見当たらない。