1742年の荒川洪水を刻む。
寛保洪水位磨崖標の特徴
1742年の洪水の最高水位を刻んだ、貴重な史跡です。
荒川大洪水の歴史を伝える、自然災害伝承碑です。
住まい方に生かされた、地域の歴史を感じる場所です。
自然災害伝承碑。付近に駐車場は無く、樋口駅から徒歩。1742年寛保洪水により、磨崖標から約200m先にある荒川が氾濫し、水位がここまで達したことを示しています。当地からは樋口駅・荒川を優に見下ろせ、非常に高い場所まで洪水が押し寄せたことが感じられます。読みづらいですが、碑は「水」1文字のみというとてもユニークなもの。地元の有志2名が彫ったとのこと、何としても後世に被害を伝えたい想いが残されている碑です。
荒川の氾濫の歴史を記した貴重な史跡です。実際に行ってみるとこんなところまで(国道140号より3m?ぐらい)とその凄さが実感できます(写真の中心付近に「水」の字、右のハライがよく見えるか)。現場の説明看板には…埼玉県指定史跡 寛保洪水位磨崖標寛保二年(一七四二年)、関東各地に未曾有の災害をもたらした、大洪水の水位を示す史跡です。旧暦七月二十七日から豪雨が降り始め、四日目に荒川の水位は最高位に達し、この付近一帯は水没しました。現在の暦に直すと、九月上旬から中旬にかけてのできごとです。後日、地元の四方田弥兵衛によって、「水」という字が刻まれました。当時の水位上昇が確認できる、荒川洪水の貴重な記録です。令和二年三月二日長瀞町教育委員会。
洪水の最高水位を示す、史跡。岩に刻むことを摩崖というのかな。こういうのは、初めて見た。解説がなければ、誰も気づかないですね。場所は、樋口駅から歩いて2分。
こんな場所まで水位が上がったとは増水恐るべし‼️今の水位とはだいぶ違いすぎます。ただ岩に刻んだ水の字が見にくいです。
江戸時代の寛保2年(1742年)旧暦7月から8月にかけて東日本中心にを襲った江戸時代最大の水害時の秩父での記録。写真でも実際でも見にくいが、崖の岩に「水」と刻まれ、溢れた荒川の洪水がここまで達したことが記録されている。この場所は有名な景勝地長瀞のすぐそばだが、通常の水面からは18メートルもの高さがある。国道140号線を走ると、長瀞第二小学校のグラウンドフェンスに洪水の高さが示され、その脇の道を入ると道の奥に小さな標識がある。秩父鉄道の樋口駅を降りてすぐ。
「荒川大洪水(1742年7月27日(旧暦)から4日間)」を伝える自然災害伝承碑。
名前 |
寛保洪水位磨崖標 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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1742年の洪水時の水位を,岩に刻んだもの.周囲を見渡すと,この石標が伝えるものを,後世の人々が正確に受け取り,今日でも,地域の住まい方に生かしてきたことがわかる.街道を行き来する旅人や荷駄を相手に,茶屋・食堂や旅館を生業としていたであろうこの地域は,住まいを、川に近い街道沿いに作ることは,仕方がなかった.その一方で,社寺や墓は先祖を祀る場でもあり,また,洪水時には避難所となるので,洪水時にも水につからないよう,磨崖標よりも,必ず上に作っている.