明治の歴史を感じる天神橋。
天神橋 橋名飾板の特徴
明治二十一年に設置された、歴史的な鉄橋の橋名飾板です。
豊臣秀吉ゆかりの大坂3大橋の一つが近くにあります。
昭和六十二年に再設置された、貴重な鋳鉄製品が魅力です。
立派な名称板です。直ぐ隣の上流側にある天満橋にも同じ立派なものがありますね…
こんな立派な飾板やったら残したくもなるよなーていうか現在の橋に付けられんのやろか。
明治21年(1888)に木造からドイツ製の鉄鋼橋に架け替えられた時に、日本の鋳鉄で造られた銘板をかけたものが保存されています。松屋町筋の拡張にあわせて昭和9年(1934)に現在の橋として架けられました。この銘板はもう一つが大阪天満宮北側の星合の池にあります。
天神橋 橋名飾板天神橋は明治十八年の淀川 大洪水で流失するまで幾度と なく架けかえられたが すべ 木橋であった この橋名飾板はその後の明 治二十一年 ドイツから輸入 して架けられた鉄橋の橋門上 に設置されていたもので我 が国でつくられた鋳鉄製品で ある昭和六十二年五月 大阪市天神橋筋商店街を一丁目の方向に向かい南へ南へと歩いた先に ある有名な橋です。先は松屋町につながっています。
豊臣秀吉ゆかりの大坂3大橋の一つ、『てんしんはし』を飾っていた飾板。もちろん、近代(明治21年)にドイツから輸入して掛け替えられた鉄橋に飾られたものです。オリジナルの木橋は、その3年前の明治18年に発生した大洪水で流亡しています。ちなみに、ここから東方に架けられている『天満橋』も、まったく同じ経緯を辿って掛け替えられました。相当な大水害だったのでしょう。この天満橋も、同じように当時の飾板が、大阪の土木遺産として展示されているので、足を伸ばしてご覧になれば如何でしょう。どちらも、デザインが同じの国産鋳鉄製、重量感のあるどっしりとした重厚な銘板です。ふ。
天神橋北詰めにあった。明治18年の大洪水で流失するまでは木製の橋で何度か架け替えられたようだ。この橋名板は明治21年にドイツから輸入された鉄製の橋の上に設置されたもの。
名前 |
天神橋 橋名飾板 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6615-6818 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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この橋の街灯は、今はなき「数寄屋橋」に設置されていた物と同じ形をしています。「忘却とは忘れ去る事なり…」あの映画を思い出しました。