荒砥川の傍ら、増田重政の城。
新土塚城跡の特徴
西に流れる荒砥川の優雅さが際立つ景観が魅力です。
増田重政ゆかりの址であり、歴史と共存する特別な空間です。
巨大な竹藪が波打つ様子は、訪れるひとの目を引きつけます。
碑があるのみ。
かなり遺構は消えてしまっていますが、外郭ラインは良く伺うる城郭です。城域の東側の田んぼが堀のように凹んでおり、まさに堀跡です。この堀と荒砥川に挟まれた逆三角形の区画が城跡です。城址碑の西側にある土壇(古墳・文殊堂)が「新土塚」の語源となった塚です。ここも城内で、物見台に使われてたと思われます。城内の遺構は他には無くなっていますが、古老の話として、北から本丸・二の丸・三の丸が東側堀跡に沿って並んでいたという旨が『前橋市史』に掲載されています。城主は西側対岸の増田の地を領していた増田繁政といい、彼は戦国期に金山城由良氏の配下で大胡城の城代を勤めたといいます。
このお城は、由良氏の家臣で大胡城代だった増田重政の居城であったと伝えられているそうです。チョッと面白いと思ったのは「新土塚」という名前なのですが…地元に残る言い伝えでは、新土肥前守という武将が城主であった時、二宮城主と争って敗れ、家臣ともども埋葬したことから「新土塚」と呼ばれるようになったとか。いまは標柱が立っているだけですが、この場所で凄惨な戦があったと思うと…チョッと空気がヒヤリとするような…(^_^;)
名前 |
新土塚城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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西に荒砥川が流れていて、絶え間なく襲いかかる赤城おろしに、さえぎる物がひとつとしてない巨大な竹藪が大きく波打つている…。そんな竹藪に抱き抱えられるように人家、畑などか点在している一角があり、その東側の外れに、ほぼ南北にわたって、大きな長々とした顕著な空堀が遺されている。おおよそ幅は10m,長さは100m,深さは2mはあろうか…。冬枯れたセンダングサで満艦飾になってはいるが、思っても見なかった場所で、並外れた規模の堀を目にして、いささか胸を打たれる…。郭などの主要部分は竹藪の辺りにあったらしい。それにしてもこの竹藪はむやみやたらとでっかいなあ~。文殊山古墳(円墳)の墳頂に鎮座する藪に囲まれた文殊尊のお堂は、曰く言いがたい雰囲気に包まれている。2025/2/10